Convalescent -恢復期-(上)

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@tenkufuga

5.月の光

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閉店時間一杯まで涼子はずっとそうしていたが、ウエイトレスにラストオーダーを聞かれた所でやっと立ち上がってコートを着込み、店を出た。

時間は9時を回っていた。そう言えば夕食を食べ損なっていたが、とても食欲など湧いては来なかった。


真っ直ぐに駅へ向かう大学時代に通い慣れたルートを辿りながら、涼子は自分の心が浮わつき始めている事に困惑する。


別れ際、三好が言った「一番言いたかった言葉」とは、プロポーズの言葉に違いなかった。

勝手に脳内で再生される結婚後の三好と自分の姿を打ち消す様に、涼子は一度大きく頭を振った。


彼に再び心惹かれ始めている事は、最早疑い様の無い事実だった。


当たり前だ。一度は確かに愛したその男から、誠心誠意謝罪された上、好意を告げられては。

気付かれないままひっそりと、心の奥底に熾火の様に残り続けていた彼への未練が、「あんな自分勝手な話」と引き止める理性の手を振り解き、涼子の胸に火をくべる。

ほの赤く燃え始めたそれを、だが、手放しで喜べないのは、身の内で三好への不審よりも大きく育ってしまったもう一人の男のせいだった。

その男は既に涼子の心深く忍び込み、燃え始めたそれを醒めた瞳で見詰めているのだ。


あの、底透けそうに透明な、煙水晶スモーキィクオーツの瞳で。


駅から電車に乗った涼子は、吊革に捕まりながら窓の外に流れる夜景をじっと眺める。

まるで忙しなく移り変わる自分の胸の中の思いから、その本心を掴み取ろうとでもするかの様に。


コートのポケットが不意に振動して、涼子はそこからスマートフォンを取り出す。

通知バーを引き出してみると、三好からだった。

電車を待っている間にメールアプリに設定したウェブメールの受信箱を開いて、中身を確認する。


件名:今日は本当にありがとう!

本文:

絶対来てくれないだろうと正直諦めてたから、来てくれただけで凄く嬉しかった。

言い忘れたけど、昔より本当に綺麗になってたから驚いたよ。

いつでもいいからLINEのID教えて?


「……クリーチャー級不細工のこの私に、いきなりモテ期到来だって? 意味が分からないな……」

口の中でだけ呟いて、涼子は微かにそのおもてに苦笑を上らせる。

すぐに返信しようとした涼子は、だがふとある事に気付くと、指を止めた。


――そう言えば、自分は昇の連絡先を何も知らない。


ホテルに滞在していると言っていたが、1ヶ月も経った今は当然とっくの昔にオーストラリアに帰って、演奏活動でもしているのだろうか。



あの後彼は、一体どうしたのだろうか。



あれからもう何度目になるか分からない疑問が、また胸の中に湧いて来て、僅かな焦りの様な感情を生む。

連絡先の交換をした訳でもなく、昇の側がこちらの住所を一方的に知っているだけで、考えてみたら涼子は昇がオーストラリアに住んでいるという事以外何も個人情報を知らなかった。


「あなたは、美しい」


そう言った昇の瞳の強さを思い出す。

その瞳はそのまま容易に最後に会ったあの夜の哀しい笑顔へと変わり、涼子はスマートフォンにロックをかけるとコートのポケットへ静かに滑り込ませた。



返事をするまで、まだ二週間ある。

何も今すぐ気持ちを決めなくたって、構わない筈だ。


涼子は鼻から軽く息を吐くと、再び、窓の外の夜景を眺め始めた。




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