Convalescent -恢復期-(上)

天空風牙@フォローリクエスト受付停止中
@tenkufuga

5.月の光

この小説は夢小説 (名前変換ができる小説) です。
キャラベルに登録してログインすると、登場人物の名前をお好きな名前に変更できます。


なんで今更、と、思わないでは無かった。

本当はもう忘れてしまって関わらない方がいい相手である事は明白なのだから。

でもあの日以来、初めて液晶画面に表示されたその名前を見た途端、涼子の心は簡単にそこに縫い止められてしまったのだ。


待ち合わせ場所に指定された、母校の大学前にある喫茶店に足を運ぶのを、涼子は散々迷った。

しかし電話越しに聞いた彼の、本当に心からと感じられる謝罪と、もう一度だけでも会って釈明させて欲しい、という言葉の真摯な声色が、涼子の重い足を持ち上げ、待ち合わせ場所まで運んだのだ。


最終的には、単純にまだ、未練があるだけなのかも知れなかった。


11月下旬の夜の寒さから急に暖房の効いた屋内に入ったことで、少しだけ固さが緩んだ体でなんとか辿り着いたその席には、既に男が座っていた。数年振りに見たその男は、金茶に染めていた髪を地毛に戻し、さっぱりとした風体でスーツを着こなしている。

「絶対に来てくれないと思ってたよ」

無言でコートを脱ぎ席に着く涼子に、紅茶、好きだったよな? とウエイトレスを呼び止めて注文し始めたその男―――三好みよしは、ウエイトレスが立ち去るとはにかんだ微笑みを涼子に向けた。

「説明……って何? 今更謝られても、困る」

自然と涼子の眉間が詰まる。

「当然だよね。あの頃の俺、ほんと酷い奴だったしなぁ……今の俺が会ったら、張り倒したくなる所だわ」

勝手な事を言って、三好は少し口籠った。

「…自己中なのは解ってる。でも、あれから他の女達と付き合って、判ったんだ。俺にはお前しかいないって。

―――頼む、縒りを戻してくれ」

本当に済まなかった、と申し添えられて、涼子は目を見開いた。

「何を今更……」

「なのは解ってる。でも、どうしてもお前以外の女は考えられないんだ」

メール、やっぱり見てもらえてなかったのか、と消沈されて、涼子はスマホを取り出し、ブラウザを立ち上げた。

もう長い間ログインもしていなかったウェブメールサイトのトップページに、IDとパスワードを打ち込む。

就職活動を期にウェブメールからプロバイダメールへ完全に利用を移行してしまった為、ウェブメールの方へ届いている筈の彼のメールになど全く気付いていなかった。

すぐに表示されたウェブメールの受信箱には、ネットショップからのダイレクトメールに混じって三好からのメッセージがずらりと並んでいて、涼子はかなり動揺した。


その一つ一つのタイトルからも、年月と共に後悔と反省から徐々に深い愛情へ変わる三好の心が容易に読み取れたからだ。


「あの後、俺、就職に失敗してな」

メールを読む度に表情を変えて行く涼子を見詰めながら、三好はぽつぽつと話し始めた。

「友人と一緒に、起業したんだ。知ってる? 最近人気出てきた、ゲームアプリなんだけど」

告げられた名前を聞いて、涼子は頷く。操作は単純だが世界観が独特で地味にハマるとして最近ブログなどでも取り上げられ始めているアプリだった。

「もちろん、ここまで来るのに簡単な道乗りじゃなかった。メールを読んで貰えれば分かるけど、信用してた仲間からの裏切りにあって、無一文になりかけたりもしたよ」

そこで三好は一旦言葉を止め、運ばれてきた紅茶を涼子の方に押し遣りながら、苦い笑顔を浮かべた。

「そんな苦しい時、付き合ってた女は必ず去って行ったんだ。俺が一番辛い時、側にいて、励ましてくれる女なんてひとりもいなかった。

だから、ずっと、お前ならどうだろう? って思ってた。お前ならどうするだろう? って。

お前と一緒にいた時、俺がしんどそうなら、お前は必ず励ましてくれてただろ?

インフルエンザで動けない時、感染るかも知れないのに熱心に看病してくれたこと、俺今でもよく覚えてるぜ?」

「あれは私がインフルエンザに罹った事無い体質だからで……」

「違うよ。お前は他の女よりも優しいんだ。俺、その優しさに甘えてた。お前から優しさ貰えるの、当たり前だと思ってた。

お前がいなくなって初めて、お前の価値に気付いたんだ。ホントクズだよな、俺って。

―――だから、本当に心を入れ換えて反省したんだ。こんな酷い人間が、社会で成功する訳なんか無いって。

人を大切にして、お前みたいに他人に優しくして、そうしたら、やっと会社が軌道に乗り始めたんだ」

だから、全部お前のお陰なんだ。

言われて涼子は心から困惑する。

「別に私、何もしてないよ」

「いや、もうお前は何もしなくていいんだ」

言った三好は何かを思い切った様に決然とした表情を浮かべて、背筋を正した。

「軌道に乗ったら必ず電話するって決めてたんだ。今度は俺がお前を一生大切にしてやりたい。

――今すぐ返事をくれとは言わないよ。だから、俺の事をもう一度信じて、考え直してくれないか」

自分勝手とは解ってる。本当に、申し訳無かった、とテーブルに頭が付く程深く頭を下げられて、涼子はどうしていいのか分からなかった。

「今は東京にいるけど、2週間後に仕事でまたこっちに戻って来る。だから、その時に、一番言いたかった言葉を言うよ。いい返事を聞かせてほしいんだ。本当に、お前の事が好きだから」

おずおずと重ねられた手に、嫌悪感は浮かばなかった。


「………わかった。二週間後までに、もう一度考えてみるよ」


だから、涼子は暫し熟考した後、軽く溜息をついて三好にそう答えた。

瞬間、ほっとした様に三好の表情が輝く。

「本当に、今日来てくれてありがとう。話を聞いて貰えただけでも、嬉しかった」

そのまま席を立ち、さり気なく伝票を取り上げて去ってしまった三好の背中を見送りながら、涼子はただただ呆然とするしか無かったが、やっと目に飛び込んできた喫茶店内の景色が、三好と大学時代通った頃の記憶とぴったり重なって映り、涼子は無意識に目を閉じ手で顔を覆う。

あの頃いつも座った席。窓際のテーブル席で、三好は入口側。涼子は店の奥側。

その定位置まで覚えていて、三好はこの席を選び、入口側に座ったのだろうか。


胸の中が、締め付けられた様にきゅうと痛むのは、一体何の感情なのか。


そのまま涼子は長い間、すっかり冷め切ってしまった紅茶の朱を眺めながら、俯いていることしか出来なかった。




4 / 10