僕の好きなもの(閲覧用)

 とある本丸の早朝、稽古場での出来事。

 加州清光と大和守安定の二人は、木刀を構えて手合わせをしていた。


「掛かって来い!」

「オラオラオラオラッ!!」

 

 安定が後方へと下がって間合いを取り直し、木刀を正面に構えて気合いを入れて清光を煽る。素早く切り込む身体の動きに合わせて、清光の一つに結われた長い後ろ髪が肩に掛かりサラリと流れた。容赦なく打ち込まれる衝撃の重さに耐え切れずに安定の手から離れた木刀が空中へと弾き飛ばされて "カラン" と音を立てて木板の床の上へ落下して横へと滑り、回転をしながらやがて静止する。


「やっぱり、まだ敵わないな……」

「隙が多いんだよ。安定は」

 

 安定は自分の弱さと未熟さを痛感し、悔しさに唇を噛んだ。青色の瞳が僅かに陰りを見せる。清光は自身が構えていた木刀を肩に当てると、切れ長の赤色の瞳で安定を見据えた。


 自分と同じ沖田君の所持刀だった加州清光は、初期刀としてこの本丸に顕現されていた。清光は、時間遡行軍や検非違使との戦いに部隊長として皆を引き連れて出陣し幾度も戦闘を経験している為に戦い慣れている。後からここへ来た僕は、まだ清光よりも弱い。一日でも早く強くなりたい一心で、清光に毎日手合わせをお願いしている。


 清光に追い付きたい、一緒に戦いに出陣したい、清光の隣に居たい。僕だって、清光を守る側になりたい。今の僕は清光の背中を見ている事しか出来ないのが悔しい。それを言葉にした事は一度もないけれど……ずっと、そう思っているんだ。


********

 

 数日後。早朝、稽古場での出来事。


 清光の様子がいつもと違っていて何か他の事を考えているような、どこか上の空みたいな感じだった。気が緩んでいる隙を狙って安定の振り下ろした木刀が、清光の構えている木刀の刃先を掠めて一際高い音が響く。打撃から伝わる振動で腕に走った痺れに思わず声を上げ、清光は痛みの元凶である安定を睨んだ。


「痛った! ……何すんのさ」

「清光、どうしたんだよ」

「べつに。何でもない」

 

 痺れた腕を摩りながら、清光は安定と目を合わせるのを避けるように視線を逸らす。


「──安定、お前が好きなものってなに?」

 

 少し間があってから、ふっと思い出したかのように清光が呟く。何でいきなりそんな事を聞いて来るのか分からない。「えっ?」と首を傾げてから、少し考え込むと脳裏に思い浮かんだ自分の好きなモノを迷いのない眼差しで安定が胸を張って答えた。


「僕が一番好きなのは、沖田君だよ。あと、松屋の団子と菊川の饅頭と辻村の羊羹と伊勢屋の最中!」

「あの人以外、食べ物ばっかじゃん……」

 

 お前らしいけどさ、と付け加えると溜め息に混じりに呆れた顔で清光は安定を見つめた。


「清光が聞いて来たから答えたんだろ」

「そ、分かった」

 

 素直に自分が好きなモノを答えただけなのに。呆れ返っている清光の態度を見て、安定が不貞腐れる。清光は、安定の返答に対して興味なさげに素っ気無く言うと手にしていた木刀を壁に掛けて片付けて稽古場から出て行こうとした。


「待てよ、まだ手合わせの時間は終わってない」

「鏡見ながら、一人で素振りでもしてれば?」

 

 安定が引き止める言葉に応じる事もなく、稽古場から縁側へと繋がる引き戸を開けると清光は振り向きもせずに立ち去った。清光の気配が遠ざかり、周囲がしんと静まり返る。


「なんだよ、あいつ……」

 

 稽古場に一人取り残された安定は、清光の言動が理解出来ずに思わず愚痴を溢す。余りにも理不尽過ぎる仕打ちに対して不満気に溜め息を付き、壁面に取り付けられている大きな鏡に自分の姿を映して真正面から見据えて睨み付けると、仕方なく木刀を構えて素振りを始めた。


********


「それにしても、さっきのあの態度はなんだよ」

 

 一人きりの稽古を終えた後、安定は険しい表情で独り言をブツブツと声に出してぼやきながら長い廊下を歩いていた。(納得が行かない、せめて理由だけでも聞かないと)込み上げる腹立たしさに居ても立っても居られなくなった安定は、彼が行きそうな場所を片っ端から当たって清光の姿を探している。

 

 手合わせの後に、清光は「汗を掻くと気持ちが悪いんだけど」と言いながら手拭いで汗を拭き、眉を寄せて不快そうに呟いている事が多い。もしかしたら汗を流しに風呂場に行ったのかもしれない。そう思い巡らせ、浴場を覗きに行くことにした。


『可愛くしてないと、愛して貰えないんだよね』──が、彼の口癖。

 

 形良く切り揃えられている爪の表面に丁寧に塗られた色鮮やかな深紅の爪紅。櫛で丹念に梳かれ、絹糸のように束ねて整えられた艶やかな長い黒髪。そんなに磨き上げなくても、いつも癖毛でボサボサな後ろ髪の僕なんかよりもずっと、清光は可愛いと言うよりも……綺麗なのに。


「あ……、清光の匂いがする」

 

 脱衣場へ入ると、ほんのりと甘い良い香りが漂っていた。いつも傍にある清光の匂い。紅い芍薬の香水だとかって前に清光が話してたっけ。微かに清光の残り香がしていたけれど、その場所に彼はもう居なかった。


 

 ──その後から。清光の姿を見掛けない。

 演練にも内番にも遠征にも出陣のメンバーにも含まれていない。

 朝食の時も昼食の時も清光は居なかった。



「ねぇ、清光見なかった?」

 

 馬小屋の方に行くと今日の内番の担当で馬の世話をしている短刀たちが居た。櫛で綺麗に馬の鬣を整えてあげたり、その大きな身体を藁で丁寧に撫でてあげたりしている。

馬を驚かさないようにと気遣いながら、安定はそっと声を掛けた。


「見てないですよ」

「見てないぜ」

 

 問いかけに対して彼らは作業の手を止め、首を傾げながら笑顔で答えてくれる。

 安定が期待していた答えとは違い、残念な返事が帰って来た。




「清光、見てませんか?」

 

 汚れる土仕事は嫌がる清光だけど、もしかしたらと畑の方にも行ってみた。

そこで畑作業をしている脇差や大太刀の姿を見つけると、近付いて声を掛ける。

彼らは、明日の分の野菜を収穫したり水を撒いたり肥料をやったりしているみたいだ。


「ん? こっちには来てないよ」

「見てませんよ?」

 

 続けざまに当てが外れて肩を落とす安定の様子を見ると、何となく状況を察したのか

「もし、見かけたら教えてあげますよ」と声を掛けてくれた。




「あの、清光を見ませんでしたか?」

 

 本丸へ戻って厨房へ行き、夕食の支度をしている太刀や打刀に声を掛けた。

規則正しく響く包丁の音。釜戸からはグツグツと具材を煮込んでいる良い匂いや湯気が厨房に立ち込めている。


「見ていないね」

「二人が一緒じゃないのって珍しいね。喧嘩でもしたの?」

 

 こちらも期待していたような返事は帰ってこなかった。それ処か逆に、心配をされてしまった。喧嘩じゃないと思うけど……自分たち以外の他の刀剣から見ればそう思うのかもしれない。理由は分からないままだけれど、いつもの言い合いよりは何となく雰囲気が悪かった気がした。


 一通り本丸内部や周辺を見回った後から自室へ戻っても、そこにも清光は居なかった。

まるであの場面みたいだ。池田屋で、刀だった頃の清光が折れた時の耐えがたい喪失感……。

どれだけ探しても清光が居ない。安定は、その場に立ち尽くして俯いたまま歯を喰い縛り、込み上げる感情を抑え込む。


「清光……」

 

 心配で胸が苦しくて不安で押し潰されそうで。震える声で、清光の名前を呼んだ。

やっぱり、どこにもいない。清光以外の他の刀剣達は遠征からも戻り、全員本丸に揃っていた。流石にこの時間に出陣はしていない。

 清光は初期刀でもあるから、主の所にでも居るんだろうか。ふと思い当たった主の部屋へ向かおうと、自室から出て廊下を歩いていると玄関の方から話し声が聞えてくる。


 ――あの声は、清光の声だ。


 聞き間違える筈のないその声を耳にすると、安定は踵を返して玄関の方へと足早に移動した。




「ただいまー」

「お帰りなさい。出掛けてる間、大和守さんが探してましたよ」


 ドサドサと大量の紙袋の荷物を式台に置いて上がり框へ腰を下ろして黒のロングヒールブーツを脱いでいると、厨房側の廊下から歩いて来た堀川国広に声を掛けられた。自分が留守にしていて居なかった間の事を聞かされるとブーツを脱ぐ手を止め、少し後ろに立っている堀川の方を振り向く。


「愛されてますね、加州さんは」

「な、なに。馬鹿な事、言わないでくれる?」

 

 いつも仲が良い二人を知っているけれど、お互いを本当に特別な存在だと想い合っているのが見ていて良く分かる。堀川は、口元に手を当ててクスクスと楽しげに笑った。脱ぎかけだったブーツの留め具を外し両足の爪先まで脱ぎ終えて二足揃えて並べながら、揶揄われて照れた顔を隠すように清光はそっぽを向いた。


「清光!」

「ちょ、危ないんですけど……っ」


 安定が廊下の奥の方から清光の元へ駆け寄り、走って来たその勢いのままで抱き付いてくる。ブーツを脱ぐ為に座っている状態の体勢では、全力で猪突猛進してくる安定を避ける事は出来なかった。その反動で清光は安定の身体を受け止めて支えながら玄関先で横倒しになり、ゴチンと鈍い音を立てて床の上に軽く頭を打つ。


「いった……」

「お前はっ、僕がどれだけ心配したと思ってるんだよ!」

 

 膝の上に倒れ込んできた安定の顔を近くで見ると、目元と鼻の頭がほんのりと赤くなっているのに気付いた。どうやら、安定は……泣いていたみたいだった。


「……ごめん」

「うん、僕の方こそごめん」

 

 さっき僕が飛び付いた時、床に頭を打っただろ。と、安定は清光の頭のぶつけた部分をよしよしと撫でた。そんなに強くぶつけてはいないのか腫れていなかったのは幸いだ。


「それはそうと、清光。朝の手合わせの時どうしてあんなに機嫌が悪かったのさ」

「あー、あれね……」

 

 問い詰められた清光は言葉の語尾を濁し、誤魔化すように遠くの方へ視線をやった。

安定が好きなものの名前を挙げる際に、あの人の名前を一番最初に言う事くらい当然のように予想は出来ていた。延々と食べ物の名前を挙げ、一向に自分の名前を言ってくれない事に対して、清光は拗ねていた。だから、当て付けのようにあんな態度を取ってしまった。


「俺の事、好き?」と直球で聞けば安定は「好きだよ」と答えるだろう。でも、それでは意味がない。安定の口から自然と言って貰わなければ駄目だ。仮に「好きだ」と言ってくれたとしても安定は「好き」という言葉にも、色んな意味がある事までは深く考えたりしなさそうだ。現に、再会をしてからも、そう言った深読みや期待が出来るような言動をされた事は一度もなかった。

 

 ”恋” と言う意味での好きという自分の感情は下手に明かさず、このままひっそりと胸の内へ仕舞い込んでおけば良い。そうすれば、今の安定との関係を壊すような事もないのだから。


 ――間。


「清光?」

 

 問いかけに対する返答がなく、沈黙だけが続く事に安定は首を傾げて清光を見つめる。


「何でもない」

「何でもなくはないだろ」

「あーもう、煩いよ」

「なっ、煩いってなんだよ。僕は、お前の事心配して……」

「煩いって言ってんの。ウザイよ」

「へぇ、意地でも言わないつもりなんだ?」

「しつこいな、何でもないって言ってんじゃん」

「言いたい事があるなら、言えよオラァ!!」

 

 安定は清光の赤い襟巻を引っ張り、顔を近付けて睨み付ける。頑なに拒んで言おうとはしない清光の態度に、苛立ちを見せて追求を止めない。


「ちょ、苦し……安定!」

 

 このまま放っておくと、二人の応酬がいつまでも延々と続きそうだ。堀川国広は、やれやれと呆れた顔で溜め息をついて間に入った。二人が喧嘩になると言い合いが続くのは、もう毎度の事になっている。


「はいはい。二人とも落ち付いて。加州さんも大和守さんもどっちもどっちですよ。加州さんは、大和守さんに心配させたんだし。大和守さんは、少し強引過ぎます」


「……余計なお世話」

「だって、清光が」


 堀川にお互いの悪い部分を上げられて、窘められる。まだ納得がいかない部分があるからか、安定が不満げに反論しようとした。


「お前さ、重いんだけど。どいてくれない?」

 

 襟巻を掴む安定の手を払い退けると清光は膝の上に乗っかっている安定の身体を引き剥がし、不機嫌そうに立ち上がって廊下を通り、縁側の方へと歩いて行く。


「あっ、こら待てよ!」


清光が置いて行った紙袋を手に持つと、安定もすぐに後を追いかけて走って行った。



「……ったく、煩せぇな。あいつら喧嘩でもおっぱじめてんのか?」

「あっ、兼さん」 


 激しく言い争う聞き覚えのある声が耳に入り、顔を顰めながら和泉守が様子を見に来た。その姿に気が付くと、掘川は嬉しそうに笑顔で声を掛ける。


「長引くようなら僕達も、もっと介入せざるを得ないけど。暫らく様子を見ようよ」

「そーだな。どうせいつもの痴話喧嘩だろ」

 

 堀川国広と和泉守兼定は、言い合いを続けながら向こうへと遠ざかる二人の背を生ぬるい視線で見守った。


********


 縁側に座って庭先の方を見ている清光の傍へ移動して、隣に並んで座る。清光が持ち帰った紙袋も横へ置いた。少しばかりの沈黙が続いた後で、安定が口を開く。


「皆に口止めって、どういう意味だよ」

「あれは……お前が今日の事、憶えていないみたいだから」

「今日の事?」

「……やっぱり、憶えてないか。今日は、お前がここに来て一年目になる日」

「あっ」


「それでさ、また会えた記念のお祝いみたいな。お前は忘れてたみたいだけど」

 

 主に頼んで、万屋へ行くついでに和菓子のお店を巡って安定の為にお土産を買って来たのだ。「安定を喜ばせたい、驚かせたいから」と他の刀剣たちへ、清光の動向を知らせないように頼んでおいた。


「買い揃えるの大変だったんだからね。お前が言ってたやつ」

「あ、有り難う……」


 清光は、庭先を見ていた視線を安定の方へと向ける。その表情と声色から、さっきまでのピリピリとした不機嫌な空気が和らいで居るのを感じとれた。 ――いつもの、清光だ。


「俺は初期刀として、主に連れられてこの本丸に最初から居たけど、お前が来るのをずっと……待ってたよ」

「清光……」

 

 清光の声が、優しい響きになる。「本当に、お前に会えて嬉しかった」と、心からそう思っているのが伝わってくる。そんな風に言われたら……安定も、自分の想いを清光に伝えたくて、今まで言えなかった事を言葉にした。


「あのさ、沖田くんと食べ物以外にも好きなものあるよ」

「え?」

「日向ぼっこと、ふかふかの柔らかい布団と、ここの縁側から見る景色と」

 

 少しずつ日が落ちてくる庭の風景を目を細めて眺めながら、安定が思いついた自分の好きなものを、一つ一つ言葉にしていく。


「そうね」

 

 素っ気無い返事を返すも、楽しげに話す安定を微笑ましく思い、清光は穏やかな表情で見つめている。でも。それくらいの事は、いつも安定の事を見ているんだから清光は既にもう知っている。そうじゃなくて、俺が聞きたいのはもっと特別な「好き」なんだけど。と、心の中で思った。


「美味しいお茶と、温かいお風呂と、丘の上の万葉桜の木と」

「そうね」

 

 日常の事とか、稽古の事とか普段生活する上での「好き」を延々と語る安定の話しに退屈になったのか、内容を聞き流しながら気を紛らわせようと手持ち無沙汰に清光は艶やかな黒髪の毛先を見て傷みがないかを探す。日頃から常に手入れをしている為、特に目立つようなものは見つからなかった。


「清光。聞いてる?」

「聞いてる聞いてる」


 あからさまに適当な返事を返されて安定は、ムッとする。どうせ僕の話なんてちゃんと聞いてないんだろうけど。それでも。安定は胸の奥に仕舞い込んでいた密やかな甘い想いを小さくぽつりと呟いた。


「あとさ。 ――清光が、好きだよ」

「な……」


「今日は、僕がここへ来た記念日だから。僕の好きなものを清光がくれるんだよね?」

 

 予想外の告白に、清光が反射的に顔を上げて何かを言いかけたまま固まる。安定は、清光からの返答を待たずに念を押すかのように言葉を続けると「まだ貰ってないよ」と言いながら、ふわりと微笑んだ。




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