此の岸より、キミを想ふ

2.5

 その言葉を聞いてしまった瞬間――俺が思わず耳を疑ってしまったことは、誰だって容易く想像できるだろう。

 それ程、目の前に突如揺らめいた女の吐いたそれは現実味を欠いたものだった。

「妹に、会いたくないか……だと?」

「ええ、そうです」

 かつては隆盛を誇っていたはずの残骸の彼方、刻一刻と移りゆく宵闇の気配は、どうやらこいつの味方らしい。纏う濃紺のセーラー服――長い悪夢と戦いの果て、ようやく一条の光を掴み取ったこの故郷には、恐らく存在しない学校の制服だろう――の、何とも不釣り合いなハズの古めかしさと合わさって、当然俺は警戒を強めた。

 そも、だ。

「貴様、何者だ」

 己が名も自ら伝えようとしない者の言葉を、どうして聞けるという。

「あら、これは失礼……。けれど、私、名乗るほどの者でもありませんから。せめて、これを一期一会の挨拶と思ってくだされば、それで十分なのです」

 ゆうらり、と。少しずつ姿を明瞭なものにしてゆく白月の下、確実に俺の側へ歩を進めるのを確認した瞬間、俺は決闘盤を構えることに、一切の躊躇を捨てた。

 ああ、消えていない。長い戦いの間に身に付けた、一種の警戒心。敵意の感知。

 いや。

「まあ。私、そんなに危険な輩と思われるようなことをしたのでしょうか……。でなければ、心外です。私、貴方様への届け物をお持ちしただけだというのに」

「届け物……だと?」

 まるで大根役者が、意味も理解しないまま台本を読み上げているかのような、そんな不快感が襲い来る。流暢なくせに感情も親身も抜け落ちている、こんな繰り言を信じろと言う方が無理な話だ。

「何の冗談かは知らんが、全く笑えんな。失せろ」

「そう言わずに。これだけでも、受け取って下さいますか」

 相も変わらず、幽鬼にも見違えそうな様相で。そいつはそう言うと、何かを俺に投げつけてきた。印象とは裏腹の、やたらに俊敏な動作で。

 驚くよりも早く、反射的に指で挟み込んだそれは――紛れもなく、カードだった。

 ……ああ。他人から渡されたカードなど、どうしろというのだろう。戦禍を共に潜り抜けたアイツ等からのものであれば百歩譲ってやらなくもないが、元々そういったことは俺の主義に反する。こんな得体の知れない輩からの贈り物であれば、なおさら。

 内容など見もせずに、俺は相手の行動をソックリ返してやろうとした。

「――そのカードが。貴方の「本当に大切なもの」を取り返す手助けをする。と言ったら」

 耳に入れる必要など、感じない。ただの甘言だ。

「そのカードの導きに従えば――貴方の妹が、貴方の下に帰ってくると、そう言えば?」

「下らんことを繰り返すな。その言葉を信じるかどうかは、俺が決める。そして、これが答えだ」

 元より、施しを受ける気などない。突き返す理由など、それだけでも十分だ。

 右腕を振り抜き誘いを突き返せば、女は細面に大した表情を乗せることなく、それを受け止めた。どうやら俺の反応は想定内だったらしい。

「ああ……全く噂通りの方ですわね。これでは骨が折れてしまいそう。分かりました、今宵はここまで。私は退かせていただきましょう」

「何度来ても、結果は同じだ。何を企てているかは知らんが、さっさと諦めるんだな」

「ふふ。ご忠告どうも。でも、こればかりは譲りきるわけにもいかないもので――あら?」

 女がふと、視線を足下の瓦礫に向ける。俺もまたその先を見つめた。何てことはない、何か軽いものの落ちる音が聞こえたというだけだ。

 落ちたのか、落としたのか。どちらであるのかは分からない。だが、ロクな代物ではないだろう。

「ああ……忘れていました。これもお渡ししようと思っていたんでした」

 どことなく演技じみた仕草で拾い上げられたそれが、月明かりに照らし出される。小型のメモリーチップ。恐らく、決闘盤にも対応している規格だろう。

「それで、まだ俺の懐柔を諦められないのか?」

「どうでしょう? まあ、ともかく。これは確認して下さいね?」

 やはり投げ渡されたチップ。当然、こいつの言葉に従うつもりなどない。

「随分とまあ、遠慮がちな手段ばかり用いるんだな。俺の腕にあるものが見えないのか?」

 安い挑発。自覚はしているが、そうしたくもなるほど、俺の感情は発露の先を求めていた。

 最も……そんな子供じみた癇癪を許すほど、柔い相手ではなかったのだが。

「そうですね。貴方を力付くで従えるのもよろしいのですけれど、今回はあいにく、そこまでする時間が無くて。ただ――その、あかでみあ……でしたっけ? そこはそうさせて頂きました」

「……なんだと」

 何と言った。アカデミア? 他のどの場でもなく、強者揃いの、そして忌々しいあそこを……まさか。

「言葉の通りですが。でも、信じるかどうかは俺が決める、のでしょう? であれば、そこにあるものを確認することが最も確実ですけれど」

「……っ」

「それでは、私はこれで。貴方のこの先に、良いことがあれば良いですね?」

 スカートの裾をつまみ上げた、実に優雅な礼も。その空虚な言葉と全く情の灯らない蜜柑色の双眸と共にであれば、ますます虫の居所を悪くするのみだ。

 いつの間にか中空にまで上り詰めていた白月の下、女の姿は当初のように揺らめいて消えていた。やはり他の次元から来ていたのだろう――などという冷静な分析よりも、今はただ、無性に吐き散らかしたい。

「……くそっ」

 気付けば、俺はそいつを握り潰しかけていた。メモリーチップ。

 これの中身を見れば、確かに真偽は確かめられるだろう。だが、その先は?


『そのカードの導きに従えば――貴方の妹が、貴方の下に帰ってくると、そう言えば?』


 あんな得体の知れないカードは突き返した。更に言えば、吐き出された言葉には一つ足りとて信用出来る要素が無い。

 だから、思い返さなくても良いハズだ。にもかかわらず。

「……一度、戻るか」

 元々、この地――かつては多くの人々が多種多様な決闘を楽しんでいた、憩いの公園の跡地――には、瓦礫の片付けに来ただけなのだ。これ以上長居しては、アレンやサヤカ達に無駄な心配をかけさせるだけだろう。

 そうだ、今は。

(こんなものに振り回されている暇は、無い)

 出来るとすれば、せいぜいあの男に事実を伝えるぐらいだろう。……正直、力を借りたくない部類のヤツではあるが。

 踵を返しながら、俺は結局出番の無かった決闘盤の操作を始める。もちろん、振り返ることなどはしなかった。

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