小旅行

昔、横須賀の公園まで学校の遠足で行かされたことがあった。


当時の俺は、遠足に限らず、学校の行事全般には無関心だった。


だがその時目にした光景は、思いのほか目映くて。


折に触れてふと、思い出すことがある。


***


一面の花畑。視界を埋め尽くす、圧倒的な彩り。


鮮やかなその色彩の向こうには海が望まれ、かつては黒船も来航したという逸話と相まって、当時の俺はあてどもない憧憬の念に苛まれた。


遠くへ行きたい。


ここではない、どこかへ。


しがらみのない、自由で、単純で、透明な世界へ。


渇望にも似た感情が、胸を締めつけたのを覚えている。


花と海とが織りなす光景を、心ゆくまで脳裏に焼き付けたくて。束の間の自由時間に1人、俺は同級生の輪を抜け出していた。


集合時間に間に合うギリギリの時間まで、俺は偶然見つけた気に入りの場所から、無心に眼前の景色を眺めていた。


心が少しだけ、自由になるのを感じていた。


***


「すごい……」


互いの公休日が重なった4月末のある日。ナビに従い、ドライブがてら、彼女をその公園に連れていくことにした。


公園ではちょうどポピーが見頃を迎えていて、入り口に着くやいなや、赤とピンクの華やかな競演が目を楽しませてくれる。


「昔、学校の遠足で来たことがあった」


そう言うと、彼女は一瞬意外そうな表情を見せ、やがて柔和な笑みを浮かべた。


「ふふっ」

「……何がおかしい」

「だって……征司さんが遠足の話って、なんだか意外っていうか……」


その後もごにょごにょ言っていたが、最終的には「嬉しいです」と言って、彼女はまた笑った。


思えば、そうだな。


彼女との付き合いもそれなりに長くなったが、少年時代の、ましてや学校行事の話題など、大して話してこなかった気がする。


「いつだったか、テレビで特集されているのを見かけてな。お前と行きたいと思った」


正直に種明かしをした。すると彼女はやはり、また、笑った。


***


あの時は、1人だった。どこにいても。誰といても。


だが今はこうして、生涯離したくないと思える人がいる。心から。


「お前に見せたい景色がある」


そう言って、俺は婚約者の手を引いた。


あの日1人で見た景色を、花と海とが織りなす光景の向こう側を、2人で見たいと思った。


20年以上も前の記憶を頼りに、俺たちは歩いた。体格的にも小さかったあの頃とは違い、山道の激しい高低差も、距離感も、今では大したものではないと思える。


あの時、俺の世界は本当に窮屈で不自由だった。だが今は……


***


「……本当にこっちでいいんですか?」


……やってしまった。


「似たような道を来たと思ったんだが……」


20年前の記憶など、頼りになる筈がなかった。そもそも体格も変わって、身体で感じる距離感すら変わっているのだ。その上、俺はあまり方向感覚に優れている方ではない。


あの日の自由時間にたまたま見つけた秘密の展望スポットは、俺の記憶からも、今いる公園からも、まるで消し去られたかのようだった。


「そろそろいい時間になっちゃいましたね……」


突き抜けるようだった青空は、もう太陽の色でくすみ始めている。適当なところで切り上げればよかったのに、時間を忘れて夢中になってしまうのは、我ながらの悪い癖だ。


「あっ、でも!」


スマホと睨めっこしていた彼女によると、この公園は隠れた夜景スポットらしい。折角だから夜景も見ていきましょう、と彼女が微笑むと、汗で冷めかけた身体が少しだけ温もりを取り戻した気がした。


「ちょっとした小旅行になったな」


そう呟きながら、俺は道々視界に入る、花と海の光景に思いを馳せた。


「私は征司さんの時間旅行のお供をした気分です」


何故か得意げに笑ってみせる彼女が愛おしい。


「夜景、楽しみですね!」


弾む声に、俺は改めて、今の幸福を実感する。


ちっぽけだった俺の世界は、お前といると、どこまでも、無限に広がっていく気がする。


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