Please Kiss me

定時とか休日とか縁遠い仕事だとは理解していたつもりだった。


マトリとしての仕事に誇りと責任を持って取り組んでいくことに意義はないけれど、さすがのさすがに体に限界がやってきていることを自覚する。


玲は疲労で重くなった足をなんとか動かして自宅へと戻ってくる。


そこは、同じくマトリとして働く恋人・青山樹と一緒に暮らすマンションの部屋。


初めのうちは同居だったのにそれが同棲に変わるまではそう時間は掛からなかったように思う。


今では一緒に起きて一緒に出社して一緒に帰宅して一緒にご飯を食べて…と玲でも信じられないくらいの甘い生活を送っていた。


だが、そんな甘さを感じて生活できるのも、心に余裕があるからだ。


心身ともに疲れきった状態では、とにかく休みたいという気持ちにしか心が動かなくて、女としてのあれこれが吹っ飛んでいってしまう。


今日も今日とて午前様で帰宅。


しかし、日付が変わるまで必死で書類と格闘したおかげで後回しにする仕事が減り、なんとか翌日に休日をもぎ取れた。


深い深い溜息をつきながら玄関の扉をくぐったところで、ぐい、と腕を引かれた。


疲れでぼんやりしていた玲には、咄嗟に反応を返せる余裕もなく、え、と思ううちに自分の数歩後ろにいた人に引き寄せられるがままになって。


気づけば玄関のドアに押し付けられるような体勢になっていた。


暗闇に埋もれた玄関で玲が目にしたのは、やけに鋭い視線をした樹だった。


「樹さ…っ、んんんっ…!?」


名前を呼び終わらないうちに塞がれた唇。


背の高い樹に引きづられるように顎を上げさせられていき、玲はほとんど天井を見上げるような顔の向きになっていた。


覆い被さってくる樹は玲を決して離すまいとして彼女の体に腕を巻き付けていく。


ぎゅうぎゅうと抱きしめられながらの強さと熱さを交えたキス。


応えるのが精一杯でなんとかして樹の動きに合わせようとはするのだが。


「………っ、ぁ!」


「…っ!?」


角度を変えて深いキスを送られそうになった瞬間、玲ははっとあることに気づいて残った力を振り絞って樹を遠ざけた。


…とは言っても腰に回った樹の腕が離れることはなく、2人の間に僅かに隙間が出来ただけだ。


「…なんだよ」


不満そうにこぼす樹に、我に返った玲は羞恥でもごもごとしてしまうが。

何も言わないなら、と続きをしようとする樹に、勢いのままで今の心境を爆発させていた。


「ちょちょちょ、ちょっと待ってください! 今私疲れで肌荒れとかやばくてですね! 唇も荒れまくってガッサガサなんですよ!」


ここにきて女子としての矜持がこの先に進むことに歯止めをかける。


周囲に女らしくないとか言われることも多々あるけれど、やっぱり好きな人の前ではただの女なのだ。


好きな人の前では、やっぱり綺麗な状態でいたい。


当然のようにそれを思って樹に今の状態の自分をあまり見て欲しくはない…と進言するのだが。


「お前はいつだって可愛い」


「へ」


「…可愛すぎて、触れられてないこの数日が地獄だった」


「あの」


「…肌荒れとか気にしなくていい」


「いや、気にしてほしいっていうか、私が気にするっていうか」


「俺が潤してやるから」


玲の焦りなどどこ吹く風。


樹は強く玲を抱きしめたままで熱っぽくそう口説いてくる。


時間と心に余裕があれば、隙あらば玲に触れようとしてくる樹も、ここ数日の忙しさではそれも出来ず。


実はなかなかのフラストレーションが溜まっていたらしい。


玲を見つめる彼の目には火傷しそうなくらいの熱が感じられて。


思わず玲はこくり…と生唾を飲み込んだ。


「玲」


降り注ぐ甘い響きを伴った自分の名前。


ぞくりと玲の体幹に震えが走ったのを、樹は見逃したりしない。


緩やかなウェーブが掛かった髪が、頬に触れて距離を詰められていることを察した。


細められた瞳で真っ直ぐに見つめられて、玲自身も瞬きもできずに樹を見つめ返せば。


「…ん、……んぅ…!」


「ん…、玲……」


互いを求め合うだけの貪るキスをしていくのは。


至極当然の流れ、だった。

著作者の他の作品

渡玲です。渡部さん目線で話が進みます。

樹玲ですちょっと残念な人になったような(汗