コーヒーブレイク


「女性100人に聞きました。あなたの『理想の恋愛』はー?だって」


 二人分のコーヒーを作っていると、リビングからそんな声が飛んできた。


「なんの話?」

「これー。雑誌に載ってるやつ」


 見えないのにこれと言われても。

 オレンジ色のマグカップにはミルクだけ、ピンク色のマグカップにはミルクと砂糖二杯を入れて、リビングに向かう。家主でもないのに我が物顔でソファに寝転びながら、千賀子は読んでいた女性雑誌を天に掲げた。


 入り浸られすぎてもはや彼女専用と化したピンク色のマグカップをテーブルに置き、この数時間でくたびれてしまった雑誌を受け取る。紙面に並ぶ女性たちのしてみたい恋愛や理想の王子様論は、目の表面を滑るだけで特に引っかかるものは何もなかった。


「これがどうかしたの?」

「実和の理想の恋愛ってどんなだろうと思って」


 理想の恋愛。してみたい恋愛。

 さっき目を通した雑誌をちゃんと読んでおけばよかったと思った。そうすれば、当たり障りのない無難な答えが出たはずだ。持論を用意しなければならない状況に困って、差し障りなさそうな答えを考える。


「想いが通じれば、それで」

「うわぁ。片想い常習犯の言うことは違うな」

「そこ、ドン引きしない」


 生まれてこのかた恋が実ったことのない私からすれば大層な願いである。が、恋愛経験が豊富な千賀子からすればドン引きの回答だったらしい。


「やっぱり実和でも想いが通じてほしいって思うんだ?」

「でもってどういうこと。でもって」

「だって両想いになりたいとか、付き合いたいとか言わないじゃん、実和って」

「それは……」


 言わないんじゃない。言えないんだ。

 なぜなら、今現在私が恋している相手は、ソファーに座りなおして真剣な表情でこちらを見つめてくる千賀子だからだ。

 自分の家のはずなのに居心地が悪くなって、私は自分のマグカップに視線を落とす。


 レズビアンなのか、と問われると、少し違うような気がする。

 私は女性が恋愛対象なのではなくて、──いや、千賀子は紛れもなく女だけど──ただ彼女が好きなだけだ。他の女性でなくて、彼女が。


 小さい頃は”普通”に男の子が好きだった。かっこいいクラスの子とか、運動のできるサッカー部の子とか。それが変わったのは、高校の頃こっぴどく振られてからだ。

 まあ、その辺の道端にでも転がっていそうなよくある話だ。同じバスケ部で一つ上の先輩のことが好きで、卒業式に告白したけれど、無理、と断られた。今でこそよくある、と割り切れてしまうが、当時の落ち込みようったらなかった。食事は喉を通らないし、授業中にふいに泣きたくなるし。嵐のように気持ちが荒んではまた静かになってを繰り返し、自分が大学に入学する頃になってようやくその荒波は引いていった。


 そんな頃に彼女と出会った。

 千賀子とは大学に入ってからの知り合いだ。同じサークルで知り合ってから、お昼休みを一緒に過ごすようになり、気がつけばなぜか私の家に入り浸られている。お互いに波長が合ったらしい。今までのどの友達より気楽で自然体で居られる友人だった。


 それが恋愛かもしれいないと疑い始めたのは、彼女が付き合っていた彼氏と別れた時だった。別れた原因は彼氏の浮気らしく、彼の方から告白してきたのに、と彼を好きになっていた千賀子の荒れようは凄まじかった。そんな彼女の愚痴を聞き、二人で飲み明かした夜。酔いつぶれた彼女に毛布をかけて乱れた髪を手ぐしで梳かしている時に、ふと思ってしまったのだ。


 私だったら千賀子を泣かせたりしないのに。

 そんなことを、冗談でもなく、大真面目に。


 初めは何をバカな、と否定していたが、否定すればするほど逆効果で、千賀子のことが気になって気になって仕方なくなってしまった。彼女がものを食べる唇に目がいってしまったり。前は平気だった女の子同士の近すぎる距離感に恥ずかしくなってしまったり。彼女が笑ってくれると私も嬉しかった。


 私が男だったらよかったのに、と何度思ったことか。けれど、自分が男だったら彼女とこんな近い距離に居られないだろうというのもわかっていた。

 想いを伝えようとは一片も思わなかった。

 男性が恋愛対象の千賀子にとって、私の想いは迷惑でしかない。今の関係性を壊して手に入れるくらいなら、じりじり焼かれるような苦しみの方がマシだと思った。


 例え千賀子にまた彼氏ができても、笑って送り出せると思う。少しくらい、「また泣かされる相手じゃないか気をつけてね」くらいは言うかもしれないけれど、それだけだ。

 私の恋の花が焼かれて灰になるまで、彼女に隠し通しておかなければいけない秘密だ。


「なんていうかさ、実和って酔ってるよね、片想いしてる自分に」


 ようやくコーヒーに手をつけた千賀子は、飲みながらも私から目をそらさなかった。


「え、なにそれ」

「初めっから諦めてる感じ?というより、恋する私に恋してるーみたいな。プラトニック気取ってんじゃねーぞって感じ」

「さすがにそれは」


 言い過ぎだよ。違う。そんな言い方するなんて酷い。

 言い返す言葉は頭に浮かんだのに声にならなかった。心のどこかでは、そうかもしれないと思い当たることがあったからだ。


 だって、"普通"なら同姓に恋はしない。普通じゃないから、これが恋であると自信が持てなかった。

 高校の時に振られてから、男性に恋をするのが怖いから逃げているだけなのかもしれない。想いを伝えられないのは彼女に迷惑がかかるから、だなんて彼女を言い訳にしてただ諦めているだけなんじゃないか、とか。友情を恋情と勘違いしているだけで、ただの友人の延長に過ぎないのでは。


 絶対に届かないと知っているものにしか安心して恋愛ができない。間違っても自分が手を出さないように、傷つかないように、自衛として。

 もう先輩に告白した後のように、どうしようもなく後悔なんかしたくないから。


 自分の気持ちが、そうではないと心から言い切れないのだ。

 それは彼女の言う、恋愛に酔っているという表現に他ならないのでは。


「え、バカ。納得してないよね?そこ怒って言い返すところだよ?違うって否定してよ」

「は?」

「あー……やめて。ごめん。泣かせたいんじゃなくて」

「泣いてないよ」

「声震えてる。ほんと、嘘つくの下手だよね」


 ついでに隠し事も下手。

 呟くように付け足されたそれに心が握りつぶされた感覚がした。

 寄せてはいけない感情を見透かされた。バレてしまった。


 何もかも、全部終わってしまう。

 千賀子の声に氷漬けにされたように動けなくなって、顔が上げられなくなった。泣きたいけれど泣いてはいけないから、口内を思いっきり噛んで耐えようと試みた。

 そんなことをしているから、千賀子がそばに来ていることに気がつくのが遅れてしまった。


「……嫌だった?」


 ふわりと漂った千賀子のラベンダーのシャンプーの匂いと、コーヒーの香り。キスされた、と理解したのは一拍置いた後だった。心臓が壊れたみたいに早く動いていた。


 なんと答えるのが正解なのだろう。

 嬉しいのと恥ずかしいのと驚きと。感情がごちゃ混ぜになってよくわからなかったけれど、嫌じゃないとははっきり言えた。嫌なわけがない。好きな人にキスされて、どうして嫌だなんて。


「千賀子、私」

「ねぇ、実和。私も実和と同じだよ、多分」


 同じって、つまり。どこまで。

 臆病な私がいますぐ引き返せと警鐘を鳴らす。これ以上は踏み込んじゃいけない。これより進んだら、きっと傷つく。私も、彼女も。

 無意識に体を引いていた私に、その分だけ千賀子は体を寄せた。


「キスして嫌じゃないなら、ちゃんと好きだよ。きっと」


 二回目のキスも、コーヒーの味がした。



END

著作者の他の作品

オリジナル。高校生の僕と佐伯。

アイスというか蝉。パ●コ。