あの日僕らは、空を翔ぶ夢を見た。

miotsukushi
@aramashigoto

「あいつには偵察・分析の素質がある」


そう言ったのはクリスだった。

マネージャーの仕事ももちろんそつなくこなすが、ある試合でクリスの隣に座って見学をしていた時に

ふと呟いた言葉に心底驚いた、とも言った。

「今のでそれが分かったのか?」

「…それって変ですか?クリス先輩。」

本人には自覚があまりなかったようだが、クリスは自分がいなくなった後を考えていたので

そのまますぐに「偵察・分析係」に抜擢された。ただあくまで部員の偵察が主なので

主力が迷った時や、個人的に聞きたい時に限られたものになった。

あまり表だって「偵察係」ではないように仕向けたのも当時のクリスの発案だった。


黒く細い、風に揺れる髪の毛、無表情、真っ黒な瞳は熱心に試合を見つめるだけだ。


「クリス先輩、女子に偵察をさせるのは…。」

御幸の心配ももっともだった。クリスも「そうだな」と言いながらも

「あの観察力には舌を巻く。何もさせないのは全く惜しい。」

試合のビデオを沢村達と楽しそうに見ている姿はとても「偵察係」には見えない。

どこでもいる普通の女子高生、あの無表情な真面目な様子は偵察をしている時だけだ。

「ほら、ここ。ここよ、沢村君。」

後輩に優しく話し掛ける様子をクリスは微笑ましく見つめていたが、御幸は正直、相当面白くなかった。


野球部に入った時、初めて見かけた時、御幸の心はその清廉な姿に奪われていた。


「市大三高も稲実も最大のライバルである事は間違いないけど、私は薬師だと思う。」

御幸とスコアブックを挟んで話をしていた時、今まで名前も上がらなかった高校名を言った。

「は?薬師?何で?」

「監督が変わってるし。何より、何か気になる。」

そう言って、何事もなかったかのように話を進めた。結果、薬師は市大三高を破ったが、話はその前年12月の時だ。

2人ともまだ1年生で、クリスに偵察分析の基本を習っている最中だった。轟監督就任1年目の頃の話だ。

この時、名実共に「影の偵察係」となった。1人で他校に偵察に行くのを御幸は見送る日々が始まった。


偵察にはいつも1人で出掛ける、キャプテンになった御幸が「誰かと一緒に行け」と言っても

「いい。1人で大丈夫。」と言って聞かなかったし、倉持を助けを求めるようにちらっと見るので、

倉持も「いいじゃねぇか」としか言えない。仕方なく「早く戻って来いよ」としか御幸も言えなかった。


「今日はお邪魔します。」

丁寧に頭を下げる可憐な様子にライバル校の監督とはいえ、思わず笑みを浮かべてしまう。

「見て役に立つようなこたぁねぇぞ。天下の青道さんには敵わねぇんだからよぉ。」

片岡監督とはまさに正反対。乱暴な物言い、しかし、なかなかの切れ者であることはすでに周知の事実だ。

「そんなことはありません。今日は勉強させて頂きます。」

微笑んで早速、練習試合の見学を始める。今日は主力はあまり出ていないようだ。

エースの真田がベンチにもいない。サブグラウンドか、と思ったが、今日はこの練習試合だ。

しっかりメモをして、控えの選手の情報を集める。試合が終了して薬師は負けた。


「こんな負け試合見られて、恰好がつかねぇなぁ。」

さらに「真田出せばよっかたぜぇ」とごちる監督に初めのように頭を下げ、丁寧に挨拶をして帰ろうとすると、後ろから声を掛けられた。

「よ!青道のマネちゃん、だろ?何?偵察?」

振り返るとそこには真田が制服姿で立っていた。

「こんにちは、真田さん。偵察ですけれど、きちんと許可は取ってますよ。」

「で、今からお帰り?何だよ、今日、君が来るんだったらダダこねても試合に出たのに。」

左足を少し故障しているから別メニューだったのは早めに制服に着替え、上がろうとしている姿で分かる。

先程の監督の独り言を聞く限りは、当分は、正式試合まで真田を出すつもりも、出るつもりもない。

近寄ってくると、その大きさが分かる。180センチを超えているのだから、当たり前だが迫力がある。薬師で食えないのは監督と真田だ。

しかし、端正な顔立ちは女子に人気がありそうだ。ニコニコしながら会話を続ける。

「お、近くで見ると本当に可愛いな。俺、何人かいる青道の女子マネの中で君が1番好みなんだよね。」

(…これはきっとチャンス)

薬師のエース・真田俊平はなかなかに分かりにくい男だ。フレンドリーなのだろうが、その気軽な感じが

かえって、本当の姿を隠しているようにも思えた。今日も足の痛みを隠して、軽口だ。

「薬師には女子マネ、いないですもんね。珍しいだけじゃないですか?」

「3年生だろ?タメだし。敬語なしにしようよ。」

ね、今度デートしようよ、と黙っているのもあまり気にしないのか、話を続けながら歩く横を陣取る。

「デートは無理ですね。部活あるし。」

「あ、そっか~。俺もだなぁ。あ!じゃライン、交換しようよ。」

(きた…!)ポケットから携帯端末を取り出しながら、真田はにこやかな表情を浮かべている。

黙って真田の顔を見上げると、「ん?何かついてる?」と笑っているが、目が笑っていないのが分かる。

「ライバル校の偵察係と連絡先交換するなんて、正気の沙汰じゃないですよ?」

わざと言う。この男に何を隠しても無駄だ。その言葉に真田は驚いたように、目を少し開いた。そこに感情が宿った。

「まぁ、そうかもしれないけど。恋に落ちるなんて、それこそ正気の沙汰じゃない。」

ははは、と豪快に笑って、「ね、だから気にせず交換しよ?」と端末を軽く振る。ふと御幸が言った言葉を思い出す。

クリスも同じような事を言っていた。「間違ってもライバル校の奴と仲良くすんじゃねぇぞ。」

ただこの見解を守るという発想は実は初めからなかった。自分が「女」であるという自覚が多分にあり、

それを生かすことを考えないでもなかった。


男の世界、高校野球の世界で「女」として参加できること、ずっと考えていたことだ。

女子は試合前のグランドにだって立つことはできない。

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