水月佳人 -緋色恋枷-

第八話 悪鬼の企みは思惑を越える

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窓の隙間から差し込む朝日に微睡む。


「起きたか?」


「………ん?」


頭の上辺りから聞こえてきた声にまだ覚醒仕切れていない頭が軽く反応する。

軽く目を擦りながら顔を上げた霓姫が硬直するのにさほど時間は要らなかった。



「おっ、御館様っ!?なっ!!」


「何もしていないから落ち着け。」


「はっ、はい。」



いつも落ち着いて穏やかな彼女がこれほど動揺するのも珍しい。

頬を真っ赤に染め、恥ずかしそうに俯く彼女に再び愛おしさがこみ上げてくる。



「昨晩お前が庭で気を失って、此処まで運んだのだが……」



彼の視線は自分の胸元へ下がる。そこには彼の着物を掴んでいる霓姫の手。

「す、すいませんっ!!」


「手を解いて帰れば良かったのだが、起こしてしまいそうだったからな」



慌てて手を解くと彼は臥牀から体を起こす。本当はまだ彼女の側に居たいというのが本音だが、そうは言っていられない。今悟られてはならないのだ。



「霓姫」


「はい」


「一つ聞きたいことがある」


「何ですか?」



ようやく平常心の戻った霓姫。しかし、まだ頬は赤い。

これは自分の仕出かした粗相のせいなのか、鳳珠に見つめられているからなのかは本人しかわからないことだ。


「何故、私のことは名前で呼ばない?」


「えっ?」


意外なことを聞かれたらしく、ポカンとしている彼女に鳳珠は続けた。


「黎深のことは名で呼んでいるだろ?何故私のことは呼ばない?」


「え……奇人様とお呼びせよとのことですか?」


「違う。お前は私の本名を知っているだろ?」


「知ってます……ですが、私はまだ御館様に名前を名乗っていただいていませんのでお呼びできません」



彼女へ視線を向けると悪戯っぽくクスクスと笑っている。まるで悠舜からそう答えるように言われていたかのような反応だ。


「悠舜から言われたのか?」


「さあ」


「本当に悠舜に似ているな」


「そうですか?」


目を細め、袖で口元を隠してはいるが未だに笑っている。とぼけた様子を見れば本当に血が繋がっているのではないかと思えて仕方がない。



「………黄…鳳珠だ」


「はい。では、鳳珠様とお呼びしますね」



しばらくの沈黙の後、音を上げたのは鳳珠だった。珍しく少しぶっきらぼうな口調は小娘風情に言い負かされた悔しさからだろうか。

そんな彼に向けられたのは柔らかな微笑みと欲した言葉だった。緩む口元を隠すように彼は霓姫に背を向ける。そんな鳳珠の背を見ながら苦笑を漏らした。



「朝餉の支度ができ次第侍女を寄越す。」


「えっ…は、はい。」



朝餉の誘いの意図を問う間もなく彼は室を出ていった。去り際に一瞥した彼の瞳にはどこか熱が籠もり、霓姫の警鐘を掻き鳴らす。それは彼の自分に対する認識の変化を体が感じ取ったことを意味した。




共に朝餉を食べた後に鳳珠は出仕していった。残された霓姫は室に戻ると自然に溜息が漏れる。悪い予想はよく当たるというが、予想よりも早く彼が自分を認識してしまったことは霓姫にとって誤算だった。


「………これも、全部あの人にとっては想定内なんだろうな……」


そう思うとにこにこと笑う養父が無性に憎らしく思えてきた。今更ながら本当にあの人は頭が切れる。確実に自分の上を行く彼の知識や思考が羨ましくさえ思えた。


さっさと逃げなければと思えど、紅家の影部隊と対峙するなんて馬鹿げた真似はしたくない。第一、まだ鳳珠の言葉を聞いたわけではないから養父に文句を言ってもあっさりかわされ逃げられてしまう。

頭の中はぐるぐると答えのない迷宮を巡るだけ。



「…はぁ……」


漏れた溜息を室に残し、霓姫は扉に手をかけた。











その日の昼を回った頃、李絳攸は吏部から帰された。理由は不明だが、久々に与えられた休みに大人しく邸へと軒を向ける。


しかし、恐ろしいのは休みを告げたのが他でもない自分の養い親だったことだ。理由を問おうにもあの物言わさぬ眼孔で睨まれればただ言われるがままになるしかない。悲しいが、これは何年経とうが変わらないことである。



「…ん?」


ボーっと軒の窓から通りを眺めていると見知った娘が目に止まる。女嫌いの自分が女に視線を向けるなんて珍しいと思いながらもあの娘が気になっていたのは事実だ。氷の長官と云われる自分の養い親があれほど気に入っているのだから興味が沸いても不思議はない。


‘だから自分は女に興味があるわけではない’と言い聞かせながら再び彼女へと視線を向けた。

淡い黄色の着物の娘は先日の様に着飾っているわけではないが人を惹き付ける。そんな彼女と同時に歩く彼女の後ろを追うように後を付けている数人の男が目に付いた。その者達の顔は穏やかではない。その形相はこんな白昼でも堂々と人さらいをしそうな面構えだ。

一瞬にして彼女を狙っているのだと気付いた絳攸は軒を飛び出した。



「霓姫」


「絳攸様?」



いきなり声をかけられ、首を傾げる霓姫。宝玉の様に澄んだ瞳が絳攸を映せばその場にいた彼女を見ていた男たちの醜悪な視線を受ける。



「こ、こんなところでどうした?買い物か?」


「あ、いえ…まあ、そんなかんじですね」



邸に居ると息が詰まる。それを理由に邸の者達には何も告げずに出てきた。ふらふらと特に宛がないのに歩いていたために周りに良からぬ者をぞろぞろと連れてきてしまったらしい。



「買い物が終わるまで付き合う」


「へ?」


「供も連れないお前を一人にしたらあの人に何を言われるかわからない」



不器用ながら気を遣ってくれているらしい。少なくともあの良からぬ顔をした人達は諦めて退いてくれるだろう。



「ありがとうございます。ですが、大丈夫ですか?」


「何がだ?」


「その…どちらかに行かれるおつもりだったのでは?」


「気にするな。邸に帰ろうとしていただけだ」



外れに止められていた軒を見ながら霓姫が問うとぶっきらぼうな答えが返ってきた。女性に対して免疫のない彼の照れ隠しなのだろう。



「では、御言葉に甘えさせていただきます」




にっこりと微笑めば絳攸の頬はほんのり赤く染まった。





‘…この娘の笑顔は嫌いじゃない…’





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