風が止むまで

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 藍色の空を背に、オレンジの光を見下ろす。

 遠い陽が彼方に沈んでいく。背比べのように林立するビル群も、この高さから見下ろせば光の妨げにはならない。

 風が渡る。低きから高みへ、追い上げるような不穏な風。

「残影……」

 両肘を抱え、赤い瞳を伏せて、常闇踏陰は呟いた。

 お気に入りの場所だ。町はずれ、長い階段を上った先にある無人の小さな神社。その境内から臨む景色。こんなに打ち捨てられたような場所だというのに、胸にしみるほど見通しが良い。

 茂る立ち木が不吉にざわめく。それを背で、心地好く聞く。

 寂しい所であるのも、むしろ良いことだった。常闇は孤独が嫌いではない。賑やかな仲間たちと過ごす時間と同じように、この静寂も好きだった。

 しばらく休んだら、潔く帰らなければいけない。本当なら、こんな散歩をしている暇などないはずなのだ。雄英高校ヒーロー科A組。余暇を孤独に浸って過ごせるほど、甘い場所ではない。

 風がまた騒ぐ。木々が葉を振る。その中に立つことが、どこか胸の内を騒がせるような心地を生む――


「あっ、またいたぁ」


 突然後ろから掛かった聞きなれない声に鋭い眼光を宿し、振り向く。睨みつけたつもりはなかったが、その女は怯んだように緩そうな口元の笑みを消した。

 見慣れない女だった。折から巻き上がる風が薄茶の巻き毛をふわふわと舞わせている。クリーム色のシフォン地のワンピースをふわりと着こなし、クラシックなレース編みのショールを巻いた、どことなく場違いな感じのする若い女。透かし彫りの革のサンダルを履いた真っ白な細い足首に、組紐のアンクレットを重ね付けしているのが見えた。

 常闇がもう少し過剰にロマンチックな男であれば、森の妖精のようだと思ったかもしれない。少しだけ道化た男なら、森ガールというやつかな、と思ったかもしれない。

 だが、どちらでもなかった。暗闇の中では視認しやすいなと思ったが、それだけだった。常闇は眉間に皺を刻み、できるだけ慇懃に聞き返した。

「失礼だが、どこかでお会いしただろうか」

「うんうん、お会いしたしたー」

 ゆるい口調だが断固と肯定して、女はとてとてと近寄ってくる。常闇の脳裏に過るのは敵連合という言葉、そのときの緊迫した戦場の空気。警戒心を表出して険しい顔をするとともに、焦燥が脳裏をぐるりと巡る。

(黄昏時――)

 黒影で戦うには、リスクが高すぎる。

 冷や汗が伝う背を、女のしなやかな手がぽん、と叩いた。

 びくりと跳ね上がる肩を、なんとなく何も考えていなさそうに見える軽薄な薄茶の瞳が楽しそうに見ている。

 常闇は以前顔をしかめたまま、少し咳払いをした。

「覚えがない」

「ひっどいなあ」

 馴れ馴れしく言いながら、女は傍らの石に当然のようにすとんと腰掛ける。座れとばかりに傍らを叩いてくるが、さすがにそれは無視することにした。

「よくここに来てたじゃない、前から」

「それはそうだが」

 特に恥じることとも思えなかった。肯定する常闇を女は面白そうに見上げる。

「それなら知ってるに決まってるよー。大事な氏子さんみたいなものじゃない?」

「……は」

 氏子。常闇の視線は薄暮の中に沈む、朽ちかけた本殿へと走った。

 女は指を立てて、得意げに澄ました顔を作る。

「苗字田神社。ここの名前」

 苗字田、と言いながら、女は自分ののど元を細い指でとんとんと叩いた。

「私も、苗字田」

 その声に楽しげな響きが混じる。

「意識したこともなかった?」

「……む」

 にいっと歯並びの良い歯を見せて問われ、常闇は困惑する。図星だった。神社のことなど気にもしていなかった。ここには景色を見に来ただけだ。

 口ぶりからすると、この女はここの関係者なのだろう。参拝もせずに景色だけ見て帰る奇矯な少年をいつも見送っていたということだ。

 思ったままを伝えるのはさすがにためらわれたが、どこかで安堵も感じていた。少なくとも、この条件で敵との戦いを強いられるよりは、神職相手に気まずい思いをしたほうがずっと良い。

「い、……いつも、世話になっている」

「うちの神社は、あなたのこと全然お世話してませーん」

 わざとらしい口調で言って、女は長い脚を投げ出しざまに組んだ。

「願掛けに来てくれたっていいんだよ、たまにはさあ」

「……」

 うまく誤魔化すことは出来なさそうだ。沈黙する常闇の脇腹を、女の指がつついた。

「これ、ほんとに言ってるの。なんか、ねえ、君の背中見てるとさ」

 長いまつげが伏せられる。ひとまず、神妙に耳を傾けるしかない。

 笑うような吐息が、短く零された。

「色々なもの背負ってる子だなって、思っちゃうから」

「……そうだろうか」

 呟くように言う。俯く顔に女の視線が触れるのが、不思議と感じられた。


 ここに来ていたのは何のためか。景色を見るためだ。


 景色を見るのは何のためか。


 景色以外のものを、見たくなくなる時があるからだ。


 常闇は誰かを強く妬むような性分ではない。学友たちには敬意を払いたいと思っている。どんな敵にも敗れるつもりはない。

 それでも、時折ひどく心細くなる。才能に溢れた学友たちの光の強さが、悪意の体現のような敵たちの闇の深さが、自分を掻き消してしまうような忌まわしい想像にかられる。

 だから、ここで夕焼けを見るのだ。誰そ彼の光の中で、自分の名を心の中で呼び、闇にまぎれていく影を踏みしめるのだ。

「……俺は」

 呟く。女に視線をやる。

「そんなに、分かりやすいだろうか」

「わっかりやすいよー」

 歯を見せて朗らかに女は言い、気安く手を伸ばしてくる。大きく張り出した嘴を、人差し指がするんと撫でた。

「ね、だからさ、きっと君がここに来るのも、願掛けみたいなものなんだって、私は思ってるの。明日また、自分らしくなれるように。心を揺らす風が止むまで、ここで戦ってくれているんだって」

「……」

「だから、いつでも来ていいよって。それを、言いに来たの。わざわざ」

 女の口調は明るい。軽い。だが、聞き流せない。

 常闇は俯いた。力の抜けた声音で、穏やかに言った。

「ありがたいな」

「そうそう、感謝してもらわなきゃね。風、止んだ?」

 常闇は少し間を置き、西の街を見下ろした。夕日はすでに半ばを越えて沈み、木々の音は止んでいる。藍色の空を背負い、消え行く光を目に映して、常闇は答える。

「止んだみたいだ」

「そう」

 振り向く。

 女の姿は消えうせていた。残り香一つ、風一つ残さずに。

 声も、もう答えない。なぜだか、不思議なことだとは思わなかった。常闇は微かに笑いを零し、確かな足取りで歩きだした。

 またここに来ることがあるだろう。歩きながら、確信する。風はいくらでも吹き、その度に自分を揺らがせる。

 それでも、光と闇の間に立ち続けることに意味がある。胸板を拳で軽く、一度だけ、ぐっと押さえて頷き、常闇は古びた長い石段を下り始めた。

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