【刀剣乱夢】おくびょうもののこいごころ【現パロ】

十波かや☆Voice Happy
@to7mikaya_3na10

Shot:3





 きっかけは――半年前。

 その日は、梅雨の季節らしく朝からしとしとと雨が降っていた。

 いつもの私なら、1日中家の中で引きこもりを決め込んでいるところだけれど、その日は大好きな推理小説の最新刊が先行販売する日だった。

 雨の中、御用達にしている本屋さんへ予約した本を受け取りに行って。

 新しく買ったばかりの、白地に赤いグラデーションがかかった綺麗な傘を差して、私は家がある方向とは正反対の道を歩いていた。

 目的地は、週末限定のランチが評判の小さなカフェ。

 既に常連になっているその店で、コーヒーを飲みながら買ったばかりの本を読もう――私の休日の予定は、順調の筈だった。






「……リニューアルオープンに向けての改築工事の為、しばらく休業……ですか」


 カフェの出入口は、無情にも灰色のシャッターで閉じられていた。

 ストライプ模様のように見える、緩やかな凹凸のある縦長のシャッター。

 私の目線よりも少し上のあたりに貼られているA4用紙には、明らかに手書きだと分かる筆遣いで【臨時休業】を知らせる内容が書かれていた。

 流麗な筆遣いで、サラサラと綺麗に書かれた次の開業予定日は、なんと3ヶ月も後の日付で。

 期待していたゴール地点が突然途絶えてしまった私は、雨が降る中で呆然とその場に立ち尽くしてしまった。


(ここのコーヒー、すごく美味しいのに……)

(看板犬のルイ君とも、やっと仲良くなれたのになぁ……)


 私が訪れる度に、人差し指位の細い尻尾を全開に振りながら私の足元にじゃれついてくる茶色い毛並みの看板犬、ミニチュアダックスフンドのルイくん。

 私が本を読んでいると、いつのまにか私の足元でよくお昼寝をしていた。

 サラリとした長い髪を横に流して「貴方はいつも、店内で静かに過ごしてくださいますね。ありがとうございます」と淡く微笑んでくれた、店主の江雪さん。

 彼の作るお手製のナポリタンはいつも野菜がたっぷりで、私のお気に入りだ。

 看板犬を色白の腕で優しく抱きながら、私が帰る時に必ず出入口を開けてエスコートをしてくれる、店主さんの上の弟の宗左さん。

 悪い人ではないけれど、色気たっぷりの気怠そうな顔で、緩やかな長髪の毛先をいじりながら「次はいつ来るんですか?貴方がいると弟が嬉しそうなので、今決めてください」と無茶な要求をしてくるのは、ちょっとどうなんだろうか。

 私が店の外に出ると、必ず一緒に出てきて見送ってくれる、店主さんの下の弟の小夜ちゃん。

 帰ろうとする時、私の服の袖を引っ張って「また、来る?」と期待を込めた瞳で聞かれる度に、思わず「必ず来るよ!」と反射的に答えてしまう私は、悪くないと思う。


(どうしようかなぁ……)


 私の中では既に決定事項になっていた予定は、思いきり崩れてしまった。

 休日なのに、わざわざ早起きして。

 雨の日なのに、きちんと出掛ける準備をして外に出た。

 こんな宙ぶらりんな気持ちのまま、大人しく家へ帰るなんて――折角の"外でゆっくり読書しよう"という気分が台無しだ。


(別のお店を探すしかないか……)


 歩いてきた道をUターンしながら時計を見ると、午後14時20分前。

 お天気の状態を差し引いても、休日のカフェが混雑してくる時間だ。

 この"寄り道したい気分"を解消できないまま、雨の中ずるずると街中を歩くのだけはごめんだった。


「あ」


 目の前の道路を渡った先の、斜め向かい側。

 世間ではとてもメジャーだけれど、私自身は一度も足を踏み入れた事のないコーヒーショップが目に入った。

 店の入口の前には、大きなロゴマークの看板が設置されている。

 職場の後輩が、新作のフレーバーが発表される度に通いつめているという話が、頭の隅によぎった。


(うん、あのお店でいいかな)

(空いていると良いけど……どうかなぁ)


 本当に、ほんの気まぐれだった。

 このモヤモヤとした気分を、一刻も早く解消してのんびりしたい……雨で濡れる道路を渡る私の頭の中は、その事しか考えてはいなかった。








 透明のドアが左右に開いたその先は、外とは別世界のようだった。

 コーヒーの香りが混じる、ひんやりとした空気。

 レジの近くにある黒板には、鮮やかな色使いでフルーツを乗せた一目で冷たいドリンクだと分かるメニューが、幾つも描かれていた。

 すれ違いで店の外へ出ていく女性2人の手には、内装の電飾に反射した水滴が、キラキラと小さな光を散りばめた透明のカップが握られている。

 透明のカップから見える綺麗な色のドリンク――たぶんフルーツ系のフレーバーだと思う――は、とろりとしたシャーベット状で、見るだけでも冷たくて喉越しが良さそうに見えた。

 じっとりとした湿気にまとわりつかれて上がっていた不快指数が、きちんと効いている空調設備のおかげで、するすると数値を落としていく。


(はぁ…涼しい)


 私がほぅっと息を着くと、店内に入る前に自分の傘を仕舞い込んだ黒い三角形の傘袋の先が、まるで小さい子が漕いだブランコみたいにゆらりと揺れた。

 出入口の近くには、会計を待つ人達がズラリと並んでいて、銀色のポールと帯状の赤いテープがピン、と張られて綺麗な列を作っている。

 その列の中には、私と同じような新参者はいないらしい。

 誰もが、待機列の横にいるキャストに話しかけられてもさほど困った様子もなく、耳慣れない単語をスラスラと口にしている。

 イートインエリアの人口密度はかなり高いけれど、レジの前の待機列は常に一定の長さを保っている。

 客捌きの上手いキャストが、それぞれの役割をきちんとこなしているからこその、見事な連携プレー。

 それが、ごく自然な風景になっている店だった。


(すごい……)

(このお店のキャストさんは、皆出来る人達なんだなあ……)


 私は販売エリアのすぐ脇にあるカウンター席のテーブルに抱えていた袋をポン、と置くと、レジの前に連なっている待機列の一番後ろに並んだ。

 緑のエプロンをした若い女性のキャストさんから、笑顔で「よろしければ、どうぞ」とメニューを渡される。

 さっき微かに聞こえていた耳慣れない単語と同じように、メニュー表に書かれているものもやっぱり見慣れないものばかりだ。

 スタンダードなメニューにいくべきか、お店特有のメニューにチャレンジするべきか――私にとってはすごく重要な問題で、私は「うーん」と小さく唸った。


(何にしようかなぁ……やっぱりコーヒーだよね)

(アイスもいいけど、フローズンドリンクもいいなぁ)


「……っと!」


(キャラメルのフレーバーかぁ…香ばしさが強いか甘味が強いかで、好みが別れるよね)


「……た!」


(ダークチョコチップかぁ……どれくらいビターかなぁ)

(甘味と苦味のバランスによるよね……)

(うーん……)


「ちょっとッ!そこのあなたッ!あなたよッ!」

「えっ?は、はいっ!?」


 初めて見るメニューに釘付けになっていた私の耳に、真横から金切り声が飛び込んでくる。

 びっくりして返事と一緒に顔を向けると、さっき待機列の先頭にいた筈の年配の女性が、物凄い形相で私を睨んでいた。


(えっ?)

(な、何……?)


「あの…何か……?」

「何か、じゃないわよッ!この袋ッ!あなたのものよねッ!?」


 女性は持ち手の部分をギュッと握りしめるように持っていた袋を、まるで投げつけるみたいに渡してきた。

 訳がわからないままカウンターのテーブルを横目でチラリと見ると、私の荷物がなくなっている。

 袋の中身をそっと確認してみると、私が書店で買ったものと同じハードカバーの本が1冊見えた。

 間違いない、これは私の荷物だ。


「はい、そうですけど……?」


(どうして、この人が持っているんだろう?)


 不思議に思って、そのまま質問しようとした矢先、私の答えを確認した女性は目尻を更にキッと吊り上げた。


「あなたねぇ、非常識でしょうッ!」

「えっ?」


(な…何が……?)


 見覚えのない初対面の人からいきなり罵られて、面食らわない人はいないと思う。

 投げつけられた"非常識"という言葉にポカンとしていると、女性は鼻息を荒げながら私を見下すような視線で話し始めた。


「この店はねぇ、注文をきちんと頼んでから、席をとるのがルールなのッ!それをあなた、まだ注文もとっていないのにさっさとキープなんかして……若いのに、図々しいわねぇ!ホンット、最近の子は常識がなってないったらッ!」


(あ、そうなんだ……)


 女性の声がよく通るタイプの所為か、周りにいる人達からの視線が、チクチクと突き刺さってくる。

 店内はザワザワとした喧騒で満ちていているのに、周りの視線は私と女性に注がれていた。


(知らなかったんだから、仕方ないと思うけど)

(何か怖いし、とりあえず謝っておこう……)


「すみません、このお店に来たのは今日が初めてだったので」

「はあッ!?初めてえッ!?あなた、初めてなのッ!?」


 嫌がらせにしか思えない――店内中に広まってしまいそうな位の大きな声に、私は思わず上半身を引いてしまった。

 女性の声量に驚いたのか、私とのやり取りが気になったのかは分からないけれど、周りからの視線が更に興味深そうな色に変わっていく。


(そんな大きな声で言わなくても……)

(何か、もうどうでも良くなってきたなぁ……)


 お茶の時間を楽しむ気なんて一欠片もなくなってしまった私の心には、"今すぐにでもここから逃げ出したい"という気持ちしかなかった。

 帰ろうかなぁ――そう思っていると、受け取りカウンターの中から、出来上がった商品を注文した相手を探すキャストの声が聞こえてきた。


「あらッ!いやだ、アタシだわッ!」


 女性はキャストの声にパッと反応すると、さっきまで鬼の首でもとったような顔で見下していた私には目もくれず、本当に何事もなかったような顔で商品を受け取ってスタスタと店を出ていった。


(一体何だったんだろう……)


 女性がいなくなってから、店内はまたさっきと同じように落ち着いた空気へ戻っていった。

 それでも、私の中での居心地の悪さは変わらない。

 居た堪れない気持ちと、知らない人に叱られた恥ずかしさがない交ぜになって、私の心は荒波にまかれて沈む難破船みたいにゆるゆると落ちていった。


(コーヒーはもういいや…もう帰ろう)

(家に帰ってお湯を沸かして、自分でインスタントのカフェラテでも淹れよう)

(暫くの間は、外で読書するのもやめようかなぁ……)


 そう思って、くるりと販売エリアに背を向けた時。



「いらっしゃいませ、こんにちは」



 出入口の前――私の行く先を阻むように、"彼"が立っていた。








 さっきの女性とのやりとりは聞いていた筈なのに、彼はしれっとした笑顔で「当店は、初めてのお越しでいらっしゃいますか?」と聞いてきた。

 私の背丈では見上げる位の、スラリとした長身。

 自然な癖毛風にセットされた、綺麗な黒髪。

 ブラックエプロンがよく似合う、キリッとした佇まい。

 隙のない、いわゆる"イケメン"という言葉がとても似あう青年が、ニコリと微笑んでいる。


(うわあ……格好良い人)

(背が高いなぁ……モデルさんみたい)


 眩しい位、頭からつま先まで何もかも整っているイケメンさんが、じっと私から視線を外さずにニコニコと笑っている。

 私からのアクションを待っているその様子は、まるで飼い主が散歩の準備を終えるまできちんと待っている大型犬みたいで、ちょっと微笑ましく思えた。

 出来る事なら、このままお店を出ていきたい。

 でも、イケメンさんの笑顔をガン無視して店を出ていける程、私の心臓はそんなに強くない。

 むしろ、後でいちいち思い出しては、変な罪悪感で良心がチクチクと痛んできそうだ。

 私は早く帰りたい気持ちを無理矢理押し込んで、軽く頷いた。


「……はい、初めてなんです。でも、メニューを見ても、どんな感じのものかよく分からなかったですし。こちらのお店のルールも知らなかったので、もう…」


 帰りますね――そう言うつもりだった私に、彼は「それなら、カスタマイズはいかがですか?」と、会話を被せてきた。


(カスタマイズ?)

(そんなの、メニューに書いてあったっけ?)


 手に持っていたメニュー表はもう閉じてしまっているから、横目で確認する事は出来ない。

 ここでメニューをもう一度開いてしまったら、完全に帰るタイミングを失ってしまって、目の前のイケメンさんのエスコート付きで"イートインコースへ1名様ご案内ツアー"が決定されてしまう。


(ここでお茶するのは、ちょっとなあ……)

(そもそもカスタマイズって、何となくハードルが高そうだし)


 私が小さく唸りながら首を傾げて視線を泳がせていると、彼は私と同じ方向にことり、と小首を傾げてきた。


「お客様は、コーヒー派ですか?紅茶派ですか?」

「へっ?えっと、紅茶も好きですけど、コーヒー派です」

「ミルクや砂糖は入れますか?それともブラック?」

「どちらも適度に……ブラックは、仕事中だけって決めてますけど」

「うんうん……じゃあ、甘いものはお好きですか?例えば、キャラメルとか、ホイップクリームとか、チョコレートとか」

「甘いものは、すごく甘みが強いとちょっと苦手ですね……チョコレートは好きです。ミルクもビターも」

「ホワイトチョコは?」

「あー!駄目、駄目!無理っ!……あ」


 つい条件反射で、私は顔を顰めながら両手首を交差させて、思いきり"バツ"の文字を書いてしまった。


(やっちゃった……!)


 友達と話していた訳じゃないのに――私が恥ずかしさに顔を赤らめていると、彼は小さくははっと笑ってから「僕と一緒だ」と、頬を緩めた。


(……!)


 急に降ってきた、柔らかい笑顔。

 それはたぶん、彼の"素"の顔だったんだと思う。

 その証拠に、彼はハッとして「失礼しました」と呟いてから、表情をまたさっきと同じ爽やかな笑顔に戻した。

 私がぼんやりした顔で固まっていると、彼は手に持っていた黒い小さな伝票にサラサラと何かを書いて、長方形の紙をピッと切り取った。


「質問責めにして、申し訳ありませんでした。お客様の好みに合わせて、僕がスタンダードメニューからカスタマイズのメニューを選びました。本日でなくても、構いません。次回お越しの際に、是非チャレンジしてみてください」


 彼はそう言って笑うと、手に持っていた長方形の紙――オーダーシートだった――を、そっと手渡してきた。


「え、あの、これ……」

「もしお気に召さないようなら、そのまま捨ててくださっても構いませんから」

「いえ、でも」

「あと……お席のご案内は、混雑している時だけは僕達キャストの方からお声がけをして、お願いしています。あまりルールに捕らわれずに、気軽な気分でいらしてください」

「……!」



『今日じゃなくてもいいよ』


『気が向いた時でいいよ』


『気に入らなかったらスルーしていいよ』


『気構えずにおいで』



 そんな優しい気持ちが、手の中の1枚に込められていた。

 このまま流れに沿って「このオーダーでチャレンジしませんか」って勧める方が、売上に繋がる接客の筈なのに。


(それなのに……あえて、しないんだ)

(私に、選ばせてくれるんだ……)

(この人、そういうお仕事の筈なのに……!)


 同僚からも友人からも「仕事人間過ぎて、ちょっと感覚がズレている」とよく言われる私が、そのオーダーシートを使ったのは1分後だった。

 彼の優しい気持ちには応えたかったけれど、それでも店内で過ごす気にはなれなくて。

 最大限の譲歩で、私は「このオーダーなんですけど……テイクアウトは出来ますか?」と聞いた。


「…ああ!勿論だよ!」


 私からのオーダーが嬉しかったみたいで、思わず敬語がとれてしまった、くだけた言葉遣いと。

 本当に嬉しそうな表情で、蜂蜜色の瞳を細めた彼の笑顔が、私の胸に飛び込んできた。

 ほんのり甘くて、ほんのり苦くて。

 私の好みにぴったりなカスタマイズのメニューは、それ以来私のお気に入りになった。









「……と、いう、わけ……です……」


 だらだらと汗を流しながら話し終えた私に、目の前にいる美少年の2人は何故か眼光を鋭くさせながら「なるほど」と、低い声で呟いた。


「……へぇ。長船の旦那も、粋な事をしたもんだな」

「最後に敬語がとれちゃったあたり、若干格好つけのメッキが剥がれちゃったけどね。爪が甘いよね」

「確かに甘いな。姉さんも、案外チョロいみたいだし、似合いの2人なんじゃないか?」

「あー、チョロい同士?」

「似た者同士ってヤツだな。良かったなぁ、姉さん?」


 厳しいツッコミをする清ちゃんの隣で、うんうんと頷く男の子――名前は薬研くんという――が、楽しそうに声を低く落として男らしく笑っている。

 私はともかく、彼はそんなにチョロくないと思うけど。


(見た目も、すごく格好良いし)

(優しそうだから、すごくモテるんじゃないかなあ……?)


「清ちゃんも薬研くんも、酷いなぁ。自分でもチョロいって思っているんだから、あんまり言わないでよ……」

「あ、チョロいって自覚はあったんだ?」

「清ちゃんっ!君は、私のアドバイザーなの?それとも、イジり要員なのっ?」

「馬鹿だなー。どっちもに決まってるじゃん」

「……」


 ぐったりと肩を落とす私に、薬研くんは「まぁ気を落とすなよ、姉さん」とニヒルに笑ったかと思うと、私の頭をくしゃくしゃっと少し乱暴に撫でた。

 本当に、繊細で大人しそうな外見と違って、男らしい少年だ。

 セットしてきた私の髪は意外にも力強い薬研くんの悪戯で豪快に乱れたらしく、自分の髪がすだれのように視界にかかってきた。


「酷いっ、折角綺麗にしてきたのにっ!」

「はは、悪ぃ悪ぃ」

「絶対悪いって思ってないでしょ!?」


 慌てて髪を整えながらバリスタエリアをチラリと横目で見てみたけれど、彼は背を向けて洗い物をしていた。

 ホッとしたような、残念なような、妙な気持ちになる。

 彼は仕事中だし、そもそも私達の事を気にするなんて事もない筈だ。


(当たり前、だよね)


 ちくっと刺されたような痛みを抱えながら彼の背中を眺めていると、清ちゃんから「ねぇ」と呼びかけられた。


「ん?何?」

「女子力を頑張ってるアンタにさ、優しい俺から良い事をあげよっかなーって思ってるんだけど。どう?」

「ちょっと待った。長船の旦那からそいつを聞いてきたのは、俺っちだぜ?なぁ、姉さん。耳寄りな情報を持ってきたからよ、清光じゃなくて俺っちを褒めちゃくんねぇか?」

「……内容による」


 ドヤ顔の薬研くんに向かって、私はバッサリと言い切った。

 薬研くんは腕を組み直しながら、ぶはっと吹き出して「そりゃそうだな!」と豪快に笑っている。

 どのあたりが彼のツボに入ったのか、サッパリ分からない。

 ずっと笑っている薬研くんに呆れた視線を投げつけていた清ちゃんは、軽く息をついてから私にそっと耳打ちしてきた。


「長船さんね、今は彼女いないんだってさ。フリーだって」

「……へ?」


 ――意外だった。

 てっきり、お付き合いをしている人が、ちゃんといると思っていたのに。

 彼がフリーだからといって、別に自分とどうこうなる事には繋がらないけれど、それでも何となくホッとしたような……妙な気分だった。


「今は仕事が楽しいから、フリーのままでいーんだってさ。今の仕事が就きたかった職業だから、頑張りたいんだってー。ホント、社畜にも程があるよね」

「仕事が楽しい、か。どっかの旦那も、そんな台詞を言ってたなぁ」

「アレの方がヤバいって。"仕事が恋人"じゃなくて、"仕事は嫁"だもん。ありえないよね」

「嫁か……あっちの旦那は、だんだん病的になってきてんなぁ」


 私が知らない誰かの噂話をしている2人を尻目に、私はバリスタエリアで楽しそうに接客をしている彼の姿を眺めていた。

 


 お仕事が大好き。

 ホワイトチョコが苦手。

 紅茶よりもコーヒー派。

 お付き合いしている人はいない。



 私との共通点は、それだけ。

 友達でもなければ、知り合い……にも、なれていないと思う。

 お店のキャストとお客さんという関係は、一体どんな距離なんだろう。

 曖昧すぎて、遠すぎて、全然わからない。

 出来れば……もっと近づきたい。

 もっと話したい。

 もっと彼の事が知りたい。


(でも、どうしたらいいのかなぁ……)

(距離を詰め過ぎたら、ストーカー扱いされそうだよね……)

(だからといって、ここに毎日通えるわけでもないし……)


 久しぶりの恋は、私にとっては超難関で。

 未だに、下の名前も聞けずにいる私には、ひとつひとつのハードルが高すぎる。


(見ているだけでも、十分幸せなんだけど)

(でも、ちょっと物足りないかなって思うあたり、それは半分嘘なんだよね、きっと……)



 テーブル席に座っている私と、バリスタエリアのカウンターの中にいる彼。

 この距離こそが、今の"距離"なのかもしれない――。

 思わず口からこぼれたため息は、いつもより少し重たいものだった。






-つづく-