あまつきのひび。

藤郷 唄
@uta_fujisato

原因は曾祖父にあり 3.天神の貴子

 邸の使用人が用意してくれた夕食に舌鼓を打ち、進められるがまま満腹になるまで夜宵は食事を堪能した。突然現れた夜宵に使用人たちは困惑していたものの、フレーリヒの曾孫と紹介されれば彼らは驚きつつも快く迎え入れてくれた。そしてリジェと名乗った利発そうな侍女に用意された部屋へ案内された。

 アイボリーの室内に樹で作られた家具、本棚には四、五冊の書物のみが鎮座しており小さなバルコニーには椅子が備え付けられている。クローゼットの中にはドレスをはじめとする衣類が数十着ほど収納されており、どれも肌触りのよさそうな高級な生地で仕立てられていることは一目瞭然だった。


「旦那様がこちらは全てヤヨイ様に、とのことです」

「全部ですか?」

「そう仰せつかっております。こちらは亡き奥様に生前旦那様が贈られたものですが、未使用のままクローゼットの肥やしになっていましたから。背格好の似通ったヤヨイ様であれば着用してもらってもいいと判断したのでしょう」


 エントシュロッセンの妻が他界していることは、先ほど夕食の席で彼の口から直接聞いたばかりだ。メインダイニングには何枚か写真が飾られており、エントランスホールには肖像画があるとのことで愛妻家なのだなと夜宵は感心した。


「じゃあ、着ないと勿体ないですよね」

「ええ、きっと旦那様もお喜びになりますわ。それからこちらの部屋も好きにして構わないと仰っていたので、必要なものがございましたら遠慮せずにわたくしどもにお申しつけ下さい」

「わかりました」


 それなりに気に入った部屋なので特に手を加えることは考えてはいなかったが、壁の寂しさを考えると飾り棚をつけるのも悪くないなと思案する夜宵の耳に、控えめなノック音が聞こえた。


「リジェ様。湯浴みの御支度が整いました」

「わかったわ。ではヤヨイ様、バスルームへ向かいましょう」

「あ、はい」


 一階へと下りてダイニングとは反対方向の廊下を進んだ先がバスルームとなっていた。すでに数名の侍女が待機しており、夜宵が中へ踏み入れた瞬間、俊敏な動きで彼女の周りを固める。そして「失礼します」と断りを入れて衣服へと手をかけてきたので夜宵は慌ててストップをかけるが、お構いなしに剥かれて羞恥と屈辱の入り混じった表情での湯浴みタイムを送ることになった。


「ヤヨイ様、お加減はいかがですか? 痛くはありませんか?」

「………」

「ヤヨイ様?」

「ああ……ちょうどいいです」


 体の隅々まで洗われてしまっている事実に呆然としながら夜宵は力なく返す。


「ではお体を流して髪を洗いましょう」

「はーい…」


 もうどうにでもなれ、と諦めたように間延びした返事を返してされるがままに身を預ける。生物学上、同じ女性とはいえどやはり身体を見られることは恥ずかしい。これが毎日続くことだけは絶対に避けたいとエントシュロッセンに直談判することを夜宵はひそかに決意した。


「あらやだ」

「どうかしたの」

「耳飾りがついたままだったみたい。これでは危ないわ」

「あ、すいません。すっかり忘れていました。いま外しますね」


 そういって耳朶の耳飾りを外したとき、ちりん、という鈴の音が夜宵の耳奥で鳴ったような気がした。


「外したので、これで大丈夫…」


 最後まで言葉を続けることはかなわなかった。


「嘘っ、大変! 一大事だわ!!」

「急いで旦那様に知らせを!」

「私が行ってきます! ああ、なんということ!」

「こちらは急いで湯浴みを終わらせましょう」


 一瞬にして雰囲気の変わった侍女たちの様子に戸惑いつつ、傍らでせっせと手を動かし続けるリジェへと夜宵は視線だけを向ける。それに気づいたリジェは安心させるように微笑する。


「大丈夫ですよ。すぐにわかりますから」

「はあ…」

「では耳飾りをお預かりいたしますね。少し頭を傾けて頂けますか? ラターナ、手際よくお願いしますね」

「かしこまりました」


 夜宵はラターナと呼ばれたふわふわとした金の髪が美しい侍女に洗髪・ヘッドマッサージを行われた後、髪は魔法で乾かされ、柔らかい匂いのするオイルをつけられて仕上げられた。そしてパジャマとは言い難い、清楚かつ上品な薄紫色のドレスに着替えさせられ、リジェに誘導されるままに応接間へ移動すれば、そこにはエントシュロッセンをはじめとして屋敷の使用人たちまでがずらりと勢揃いしていた。


「これは…本当に祝福を受けたのだな」


 驚きを顔に張り付けたエントシュロッセンと、なにやら難しい顔つきのヘルツハフトを交互に見やり、夜宵はおずおずと口を開いた。


「あの…これはいったい、どういうことでしょうか?」

「すまない、怯えさせてしまったか。事情を説明しよう、こちらへ来なさい」


 夜宵は言われるがままにエントシュロッセンの側まで歩み寄ると、彼は隣にいたヘルツハフトと顔を見合わせる。それに大きく頷いたヘルツハフトは、胸の前に両手を持ってくると包み込むように掌を天井へと向けた。

 すると掌から三十センチほど上部に大気に含まれる水が集まりはじめ、円を描くようにそれは大きくなっていく。やがて縦に長い円盤になった水に自身の姿が映されたとき、夜宵は息を呑んだ。


「え……?」


 見慣れた顔の中に、異なった色彩が二つ。黒だったはずの瞳の色が、変わっていた。それも上半分が明るい蜜柑色のようで下半分は銀色という、一色ではなく二色。この変わりように夜宵は愕然とする。


「なに、これ……なんで目の色が変わったの…?」

「それは君が天神の貴子みこだからだよ」

「てんじんのみこ…?」


 それはなんだ、と問うような視線を投げかければエントシュロッセンはつまみが用意された席へと招いた。長い話になるということだろう、と察して席へとついた夜宵はひとつ深呼吸をして彼らと向かい合った。


「ヤヨイの瞳の色が変化したのは、先にも言った通り天神の貴子だからだ。天神とは、この世界の生みの親であり総べるもの。私たち魔族や人族を遙かに凌ぐ力を持ち、世界を見守る神族の頂点が天神だ」


 ギリシャ神話のゼウスのような存在ということで夜宵の中では認知された。


「その天神の祝福を授かった者に与えられるのが太陽と月の色を宿した瞳――天眼といわれる神の加護。そういった神の加護を持つものは≪宿主しゅくしゅ≫と呼ばれ、「神の貴子」「神の意志を継ぐ者」「神の意向を伝える者」など人々から敬われる存在になる。現在いまこの世に存在している≪宿主≫は魔眼を持つゼクト魔国の皇子とヤヨイの二人だけになるね」

「魔眼…」


 呟きに対して答えたのはヘルツハフトだ。


「魔眼は、天神と対をなすもう一人の世界の生みの親・魔神の祝福を授かった者に与えられる瞳だ。…歴史上、どちらかが出現することはあっても双方ともに現れることはなかったんだ。まさか天魔双方の宿主が揃う日が来るとは、奇跡としかいいようがない。俺たちは最も幸運な場に居合わせたと言っていいだろう」

「えーっと…つまり、私は一般人じゃいられなくなったってことですか?」

「王侯貴族通り越して雲上人だね」

「Oh…私の平凡セカンドライフが…」


 頭を抱える夜宵に、心配いらないとヘルツハフトが声をかける。彼の掌中には彼女が身に付けていた耳飾りがあった。


「お前がフレーリヒ様から貰ったという耳飾り、これは強力な結界としての役割を果たしているようだ。これを外すまでお前の魔力値は平均だったし瞳の色も黒だった。だがこれを外したいま、両の目は天眼へと変わり、魔力値は桁外れというより測定不可。つまりはこの耳飾りが力を抑え込み、≪宿主≫だと気づかせないための結界になっている可能性が極めて高い。これをつけていれば周囲から気づかれることはまずないだろうな」


 その耳飾りを受け取りつつ、夜宵は恨み言のようにぽつり吐き出した。


「…あんの爺、絶対確信犯だ」

「ここまで手の込んだことをしているとなると、その線で間違いないだろう。まったく、あれは小細工が上手い」

「それにしても明日から少し忙しくなりますね」

「そうだな。とりあえず明日はジャーファルの元へ顔を出そう。三盾主も招集してもらう。それから陛下への謁見に必要なドレスをマダム・シュプレンゲルに仕立てて貰わねばならないな。作法についてはリジェに一任しよう。その他の教養については、ヘルツに任せる」


 かしこまりました、と返事をしたヘルツハフトに頼んだと一言添えて、エントシュロッセンは夜宵へと優しく微笑んだ。


「ヤヨイ。明日から少しばかり慌ただしくなるだろうが、今後のためだと思って我慢してくれ。それから聞きたいことは山ほどあるだろうが、今日はもう遅い。明日からヘルツをつけるから、色々教えてもらうといい」

「わかりました。その、本当にお世話になります…」


 二人の会話の中身と雰囲気から大変なことになったと察知した夜宵は、楽しみにしていた異世界生活が前途多難になる予感がしてならなかった。

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