中原さんの黒帽子。

ちくわの国の深井さん
@hukai_1110

黒帽子が四つ

其の日は風が弱い日だった。



出社するべく、薺は何時もと同じ時間に家を出た。春の陽気が感じられる暖かな風が心地良い。一週間程前に中原と遭遇したときとは打って変わり、近くの公園には桜の花が満開になっており、木の下にはレジャーシートが敷かれていた。



花見なんていうのも良さそうだ。今度探偵社の皆と来てみるか。と考えながら、薺はゆっくりと足を進めた……。






「手前っ……」

「うわあ」



薺は立ち止まった。相手も立ち止まった。

さっさとこの場から立ち去って探偵社に向かいたい。薺の頭の中では脱出プログラムが組み立てられ始めていた。



「何で此処に」

「出社時に通る道なんですよ。なめくじさんこそ何故此処に?」



今度から道を変えようか、そんなことを思いながら薺は面倒くさそうに欠伸をする。



「俺は単に歩いてただけだ。ところで其の呼び方をやめろ」

「……では中原さんとでもお呼びしましょうか」






中原は(名前)の行く道を塞ぐかのように佇んでいた。どう考えても先に進める状況では無い。

薺は如何にこの場を切り抜けるか考えた。

まず、正面から突っ込んではいけない。重力の餌食になってしまう。かと言って後ろに下がって逃げれば出社時間に遅れる。それはどうしても避けたい。



帽子の上に乗った桜の花弁を取る中原を見て、薺の頭には一つの考えが浮かんだ。






薺は口元に両手を寄せる。そのまま黙り込む彼女を見て、中原は怪訝そうな表情を見せた。



其の様子を確認すると、薺は掌に小さく息を吹きかけた。刹那、其処からは立っているのがやっとというくらいの強風が起こる。



一瞬怯む中原。其の時彼の黒帽子が風に飛ばされた。中原は「なっ!?」と短い悲鳴を上げた。



薺が両手を離すと、先程まで轟々と鳴っていた風は幻だったかの様に止んだ。

中原は「この青鯖2号!」と年齢に釣り合わない悪口を言い放ち、空を浮遊する黒帽子を追いかけて行った。



薺は其の背を見つめながらはあ、と溜め息をつく。

彼女の異能は強風を起こすものだ。手に吹きかけた息の大きさによって威力は変わるが、「強風を起こす」とだけあって、小さな息でも国旗を激しく靡かせる程の強さは持ち合わせている。

戦闘向きでは無いが、相手に隙をつかせるには十分な異能だ。






彼女は腕時計を見る。針は出社時間の5分前を指していた。

薺は小走りで道を進んでいった。



「……明日から行く道も変えるけど、家を出る時間も変えよう」