「あい」を与える幽霊さん

初弦
@Cr_sc_nt

《奪》の章

「降谷さん、お疲れ様です」

「ああ、ありがとう風見」


風見のねぎらいにそう応じれば、強面の彼の顔だと少し悪人面になる笑みを浮かべて会釈を返してくれた。


廊下を歩いていく彼を見送った《私》。そして彼に背を向けると未だ慣れない亜麻色の前髪を掻き上げ、一瞬だけ目を瞑った。疲れからくる眠気を誤魔化すように額を褐色の掌で擦る。



そう──彼を見送ったのは、この身体の持ち主である降谷零ではない。



《降谷零》という人物の身体の使用権を持っているのは、今は私。今まで身体の使用権を得たことは今まで一度もなかったために、周りに対してボロが出ないように必死に一日一日を過ごしている。

正規の所属先である警察庁、今まさに潜入している闇の組織、そしてそこでも探り屋として動いているために、更に別の場所へ向かうときもある。


正直その三つ以上の場所に対して演技だけでキャラクターを使い分け、人を欺き時には人を殺すことも躊躇なくしなければならない生活は辛い。


それを軽々とこなしていた降谷零という人物は本当に強く──そして。



軽々とこなすために誰もが彼を強いとしか思わない。


欠片が零れ落ちていく内面は誰も気付かない。


下手をすれば降谷零自身すらも気付いていなかったのではないだろうか。



言ってみれば前までの降谷零という人物は、何度も受ける銃弾で着実にダメージを蓄積し、罅が入っていた防弾硝子だったのだ。

そして、私が伝えてしまった思考が最後にして最大の衝撃だった。



間接的にとはいえ《親友を自分の手で殺した》という事実は、降谷零の精神を粉々に破壊しかけた。



自分が駄目過ぎて笑えて来る。

宿主に迷惑はかけないことを信条としていただけに、本来降谷零だけが使うべき身体を今私が使用していることにもそれに拍車をかけている。


本来彼が過ごすはずだった時間、彼がするはずだった会話、彼がこなすはずだった仕事、その全てを私という何の関係もない赤の他人が代行しているだなんて、彼の人生を乗っ取ったのと同じことじゃないか。


乾いた笑いを零しかけ、降谷零がそんな顔をするわけがないことを知っているためにそれを引っ込めた。



否応なしに理解してしまった私の宿主は──本当に、とても強いから。



潜入捜査もあるのでそこそこ少ない、だが公安の山と積み重なっていた仕事をこなして帰宅。くたくたになった状態でも組織からの呼び出しがあれば、悠々自適な休日をこなしていたふり。

肉体的にも精神的にも疲労している状況だが、降谷零の記憶を探る限りこの状況にも彼が限界を感じていた様子はない。


……むしろワーカーホリックとしか感じられないが、恐らく公安やCIAなどの諜報機関はこれが普通なのだろう。

降谷零という人間が出来すぎていて仕事を任せられているような雰囲気も否めないので、少し分量を減らしつつはいるが。


ちなみにあれからだが、ライというコードネームの男とは良好とは程遠いが、嫌悪し合うわけでもない仲を築いていた。

あの後真っ先にライに謝りに行ったのが一つの理由だったのに間違いはないはずだ。


“すみません、あの時は少々取り乱しました。連絡を詳しく読む前に《貴方がスコッチを追いつめている》という状況だけを耳に入れてしまったもので”


そう告げればライはゆっくりと目を瞬かせ、そして“いや”と否定の意を示した。


“別に構わない。お前とスコッチの仲が良かったのは知っている”

“……そう、ですよね。身内だと思っていた人間が裏切ったという事実は、なかなかきついものです”


既に調べは尽くした。スコッチがスパイだった事実を嘆いているように見せかけて、その実突いているのは少なくともライが《ヘル・エンジェルの娘である宮野明美を利用し》組織に入ったということ。

宮野明美が彼に対して起こした事故は、ライであれば明らかに避けられたはずのものだったのだから。


仕上げとばかりに自嘲気味な笑みを浮かべておけば、ライはさり気無さを装って視線を外すと歯切れ悪く“そうだな”と呟いた。



“──身内同士での殺しを目の当たりにすると、特にそう思う”


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