わたつく

6(いつもに増して読みづらいです修正しなきゃ・・・)

 「ていとくさん」はぴかぴかした白い箱を持ってきた。やたら角張った赤い印が中央に描かれている。漢数字の十を模したものに見えるが、一体なにに使うのだろうか。


 興味津々にその箱を見ていると、「ていとくさん」はそれを厚の目の前に置いた。 


「さ、傷の手当てしよっか」

「えっ」


 「ていとくさん」はそう言って箱についていた留め具を外した。蓋を開くと、なにに使うのか分からない道具が様々な入っている。傷の手当てというからには人間の傷を治す治療用具なのだろうが、昔の日本と博物館の中しか知らない厚にとっては見慣れないものばかりだった。


「まずは消毒かなぁ」

「マキロンがあるわよ」


 二人はああだこうだ言い合いながら様々な道具を箱から取り出しはじめた。二人の両手が小さな箱の中を漁る度に箱底が浮いてがたこと派手に揺れ動く。そんなに乱暴にして壊れないだろうかと厚は冷や冷やした。


 ぺちゃくちゃ喋りながらも二人は手際よく道具を見つけていく。


「えーっと・・・ガーゼでいいか・・・」

「もうちょっと大きめの絆創膏ないかしら」

「切り傷って消毒して絆創膏貼っとけばいいんじゃないの」

「ちゃんと切り傷のための軟膏があるのよ提督さん」


 しばらくしてから由良が薄い青の模様が浮いた白い容器を手にし、それを布に染みこませた。そして厚に微笑み、ずいっと距離を縮める。


「じゃ、ほっぺ見せてくださいね・・・ね?」






 馬と刀で権力を争っていた時代からずっとこの国にあり続けた厚は、いわば「体は子ども頭脳は大人」状態である。目の前の二人など赤子同然に見えるくらいに厚は長生きであり、ずっと大人なのだ。


 そんな厚にとって、いい年した自分が女人に傷を労ってもらうことがどうにも情けないことに思えて仕方なかった。


「そりゃ、歩けないくらい大きな怪我だったら人に頼むけど」 


 初め厚は二人に厚は渋った。しかし、


「こっちからやったほうが傷の位置とか大きさが分かるしさ」

「適当にやって、傷とは関係ないところを消毒してしまったら意味がないわ」

「適切に処置するためだって。ね?」

「ねっ」


 由良と「ていとくさん」が代わる代わる説得してくるし、しかもそれが妙に筋の通った言い分なものだから、厚は上手い反論ができず首を縦に振らざるを得なかった。


 




「へぇ、刀の付喪神なのかぁ」

「日本刀ってこと?」

「そう。粟田口吉光に作られた鎧通しの短刀、厚藤四郎。それが俺の名前だ」

「・・・・・・・・・ 藤四郎くん?」

「どっちかっていうと厚、だな。兄弟の名前全部に"藤四郎"がついてるから、見分けがつかなくなっちまう」


 そう説明する厚の頬についた泥を由良がタオルで拭っている。押しに負けて手入れ、もとい手当てを頼んでしまったが、やはり自分でやるべきだったかもしれない。由良の綺麗な顔を真正面から見つめながら厚は思った。


 会ったときから思っていたが、由良は顔が綺麗すぎる。厚は視界の下の方でちらつく由良の手元を、眼球をぐぐっと押し込んで見つめた。


 若草色の澄んだ瞳、ぱちりと開かれた瞳の上に流れる銀色の眉。それと同じ髪色。大きな眼球を覆う瞼がまつげに縁取られている、それも銀。ただの銀色ではなく、白銀と言った方がいいだろう。白くたゆたう長い髪の毛は黒い布でまとめられて、つやつやと光を反射している。


 その瞳の色と髪色、そして先ほどの由良の発言―――仲間の気配ではなかったから、つい驚いてしまった―――から、彼女も人間ではないだろう。そもそも気配が付喪神のそれだ。厚は彼女が人間ではないことはとっくに確信していた。


 ぼうっと考え事をする厚をよそに、二人は興味深そうに質問を繰り広げる。


「じゃあ『あつしくん』かぁ」

「『壁が厚い』の『厚』なの?」

「兄弟がいるの?なんに・・・何振り?」

「刀って一振り二振りって数えるの?今は人の形してるから~人って言うべきじゃない?」

「いや、もともとは刀なんだから・・・」

「でも提督さんだって私たちのこと一隻二隻とは数えないじゃない」

「・・・そりゃまぁそうだけど」


 由良の言葉に「ていとくさん」が文句ありげに目を合わせたところで厚は思わず噴き出した。こんなに小気味よく続いた会話は久しぶりに聞いた。


「あんたら、面白いな」


 急に厚が笑ったためか、目を丸くさせてこちらを見つめた。その表情が二人ともそっくりなものだから、厚は腹の底から湧き上がる笑いをこらえるのに必死になった。目を閉じ腹を抱え少し背を丸めて笑う厚に「ちょっと」とか「ねぇ」とか怒気を含んだ声が冷蔵庫の向こうから飛んでくるのだが、それすらも笑えてしまう。


「悪い、なんか面白くて・・・くく」


 こんなに笑ったのはいつぶりだろう。ことの自体としては全く面白くないのに、何故かこんなに笑えて仕方がない。本丸に顕現されてからずっと感じてきた今までの痛く切なく苦しい気持ちを、今だけは忘れることができる。


 誰かと話すことって、こんなに楽しいことだったのか。久しぶりすぎて、忘れていた。

 

「ちょっとぉ~・・・泣くほど笑う?」


 止まらない笑いの渦の垣間に目を開けると、じとりと目を半月型にした『ていとくさん』が見えた。厚は「笑いすぎた」とやっぱり笑いながら謝った。目尻に浮かんだ涙を拭うと、胸の温度と同じくらいに熱っぽかった。






 「ばんそうこう」やら「があぜ」やら、厚の聞き慣れない様々な道具で手当てが進んだ。女人にここまでしっかりと触れられたのは作られてから約800年、初めてだ。そもそも人の肉を受けてから誰かにここまで丁寧に触れられたことはなかった。触れる温度や感触に何度も落ち着かない気持ちになったが、終わる頃にはその手つきに心地よくまどろんでいた。


「はい、おしまい」


 「ばんそうこう」のつるつるした表面をぴっとなぞってから、由良はそう宣言した。うとうとしていた意識をはっと覚醒させると、喉の奥から眠気がせり上がってきて、勝手に口が開いた。・・・あくびだった。


「あら、眠くなった?・・・ふぁ」

「そりゃそうだよ、もう朝だよ・・・あっふ・・・。

 ・・・厚くんにつられちゃった」


 あくびって、つられて出るものなのか。そう漠然と思いながら、照れたように笑う「ていとくさん」を見る。あくびがつられるというのはどういうことなのだろう・・・眠気のせいで霧がかかったようにふわふわする脳味噌でぼーっと考えながら、閉じようとする目を懸命に擦った。身体がぽかぽかしている。今なら横になった途端に眠れるだろう。


 いつもは布団に入っても眠れない。あちこち傷は痛むし、筋肉が軋んで疲れているのに、目は覚めている。暖かさが分からないまま、ふと気絶するように意識を失う。そして朝日に目を覚ますのだが、どうにも疲れている。

 今日はどうしてこんなに眠いのだろう。人間の身体は不思議だ。同じ眠るという行為にこれほど違いが出るのだから。


「もう寝ようか、お互いに」


 目を擦り続ける厚に「ていとくさん」が苦笑いをした。その柔らかい声でさらに眠気が加速する。厚は、自分が頷いたのかただ単に眠気でこくりと沈んだのかどうかすら分からなかった。


 瞳を閉じかけた暗い視界に、由良とていとくさんの声が聞こえる。


「寝ようかって、もう朝よ提督さん。すぐに朝ごはんの時間になるわ」

「・・・まぁ、そうなるな・・・って厚くーん、起きろー。おーい」


 肩を掴まれて厚ははっと目を覚ました。冷蔵庫の向こうから、白い手が伸びている。何度か瞬きをして大きく息を吸うと、冷蔵庫の冷たい空気が脳味噌の複雑な迷路の先端にまで染み渡り、ぱちりと目が覚めた。


 眉を下げて仕方がなさそうに笑っている「ていとくさん」がこちらを見つめている。


「こりゃ駄目だ。やっぱりもうお開きにしなきゃ」

「そうね。もう閉じましょう。・・・厚くん、あなたも寝たほうが良いわ。大丈夫?もう痛いところはない?」

「あぁ、もう平気だ」


 由良の問いに厚ははっきりと頷いた。「いろいろと本当に・・・ありがとな」もう時間だと言いつつ怪我を心配してくれる彼女へ目を細める。自分だって眠いはずなのに、最後まで気遣ってくれるその気持ちが嬉しかった。


「大げさよ」

「そうだよ。ちょっと水で拭いてペタペタばんそこ貼っただけじゃん」

「・・・やったの私なんだけど」

「いや~由良さんの手際の良さにそれがし大変感心した所存!」

「白々しい」


 キツイ表情で淡白に返す由良に切ないね、と切ない表情で呟いた「ていとくさん」に厚はまた吹き出した。こっちもあんたたちと別れるのをとても切なく思う、とかいう文句がふっと頭に浮かんだが、口にするのは憚られた。


 冷蔵庫越しに見えるお互いの厨房に少しずつ朝日が差し込んでいた。明るさを取り戻し始めた冷蔵庫の部屋の向こう、二人がじゃれつく姿が眩しかった。





 厚藤四郎と名乗った少年は、ふとした瞬間に儚くなることがある。由良にいなされながら提督はそう感じていた。自分たちを見る今の顔がまさにそうだ。ゆるく持ち上がった唇の端と下がった眉が大人びた暗い影を落としている。


「いけねっ」


 しかしその表情はすぐに消え、代わりに彼は焦りに冷や汗が浮いた。そして素早く冷蔵庫のドアへ手をかける。がたっと派手な音と共に、向こう側の景色が閉じられようとしていた。


 佐々木はなにが起きたのかと思わず身を乗り出した。その後ろから由良も部屋のへりに手をかけ覗き込む。しかし厚側の景色はすでにほとんど閉じられていた。


「誰か来る」


 彼は細い隙間となった向こうから小声でこちらに素早く警告したあと、「ごめんな」と申し訳なさそうな視線を向けてさらに隙間を狭めていく。佐々木はとっさに厚を呼び止めた。


「待って!」


 予想よりも大きく響いた声に慌てて自分の口を塞いだ。向こうから誰かが来ているというのにとんだ失態だ・・・そこまで考えてふと何故誰かが来てはいけないのかを疑問に思ったが、それよりもまず彼に言わなければならないことがあった。


 厚は形の良い瞳を大きく広げてこちらを窺い見ている。しかしそれは今や片目だけになっていた。長方形をどこまでも縦に伸ばした細長い隙間から僅かに覗いた片方の瞳に向かって、佐々木は小声で、しかし確実に聞こえるよう、一語一語に息を吹き込み唇を動かし発音した。


「ま、た、会、え、る、よ、ね」


 その言葉に厚は大層驚いたようだった。ぱっと大きく見開かれた瞳がきゅっと嬉しそうに細まってから、隙間はとうとうぴたりと閉じられた。厚からの答えは無かった。


 すると、室内を照らす照明が急に二回三回と点滅し、視界が一面の黒と白にゆっくり瞬いた。白い色と黒い色が一定のリズムで行ったり来たりする。見えなくなった視界で何度かまばたきをすると、


「・・・厚くん?」


 厚が閉じようとしていた扉の内側はこちらからはっきり見えた。ものを入れるための棚や卵を入れるためのスペースなどが作られていた。


 しかし二人が今見ているのはただの冷蔵庫の部屋の壁で、つるりとした壁が証明の光を白く反射しているだけだ。


「厚くん」


 もう一度佐々木の頭上から由良が呼びかける。その声は冷気が漂いはじめた部屋に反響して、やがて聞こえなくなった。






 扉を締めきってから声をかけられるまでの一瞬、厚の目の前は真っ暗になっていた。・・・もしかして、審神者だろうか。もし本当にそうだとしたら、食器や食材調味料などをむやみやたらに広げているこの食卓をどう思うだろう。なんと問うてくるだろう、自分は一体、なんと返せば良いだろう・・・考えてみたが、言い返しが一つたりとも浮かばない。


 頭の中を必死に探すが、それは空をかくようにうつろな行為にしかならなかった。焦りに眼球が震え、視界がぶれる。厚は握っていた手すりにしがみついて己を支えた。まるで冷蔵庫を隠すような、頼るような、そんな姿勢だ。


 誰かが厚の背中に声をかける。




「―――なにやってんだ、厚」




 ―――兄弟のものだった。身体を駆け巡るっていた血液が急に落ち着きを取り戻し、眼球が少しずつ焦点を合わせていく。緩慢な動作で声のした方に顔を向けると、白衣を羽織り眼鏡をかけた一人の少年がいた。


「なんだ、薬研か・・・」

「・・・なんて顔してんだ」


 薬研と呼ばれた少年は散らかった厨房と冷蔵庫にしがみついていた厚を何度も見比べた後、そう問いかけた。

 その言葉が顔に貼られたもののことなのかそれとも表情のことについてなのか考えあぐねている厚に、薬研と呼ばれた少年は「頬の布のことだ」と付け加える。厚は「あぁ」と手でその傷口を覆うざらついた布のようなものを押さえた。

 布越しに触れる鈍い感覚に違和感を覚えながら厚はちらりと冷蔵庫を盗み見る。そして、なんと答えたものかと少し迷って、薬研にこう答えた。


「この冷蔵庫の向こうに、神さまがいて」

「は?」

「その人たちに・・・もらった」

「・・・厚・・・」


 その言葉を聞いた薬研は悲痛な面持ちで駆け寄り、熱を測ったり怪我の様子を診たり、とにかく厚を心配しはじめた。そんな兄弟に苦笑いしながら、彼に今まで起こった出来事を話したらどんな顔をするだろうと思いつく。


「本当だって薬研、聞いてくれよ!

 いいか?俺は最初・・・ふっ、くくっ」


 なにをどう話すか起承転結を簡潔にまとめるため記憶の糸を辿っていた厚だったが、あの二人の歯切れの良いやりとりを思い出したせいで言葉が笑い声に変わった。


 そんな厚を「深刻な病にかかった患者へ病名と症状と余命を告げるべきか否か迷う」といった表情で眺めている薬研の肩を、厚はばしりと叩く。

 そして、まずは落ち着くためにと大きく息を吸ったのだが、一度はまった笑いの渦からなかなか抜け出せず、しばらく苦しんだ。落ち着いたかと思えばまた面白くなって、かと思えばまた腹の底がくすぐられるようにおかしさが沸き上がってくる。あんな奇妙な体験を誰かに話すこと自体が面白くなってきた。


 楽しそうな厚とは対照的に、それを見る薬研の眉間にはどんどん皺が寄っていく。


 しばらく本丸で聞くことのなかった笑い声が朝日の差し込む厨房に明るい余韻を残しながら響き渡った。