春風メゾット

始まりはここから

 それは偶然の出来事だった。

 持病の片頭痛が悪化して、 昼休み時間の間だけでも仮眠をとらせてもらおうと保健室を訪れると、 茶髪にピアスという不良の見本のような人物が椅子に腰掛けて本を読んでいた。

 元来人と付き合うのが得意でない僕にとって、 不良というのは最も接しにくい存在である。

 特に今は片頭痛のせいで人と話すことさえ億劫になっていた。ここは諦めて教室で仮眠をとるか。  

 そう思って開けてしまった扉を閉めようとすると、「待って。 」 と声をかけられる。

  恐る恐る目の前の人物の方に視線を向けると、さっきまで開いていた本を閉じてじっとこちらを見つめてきた。

「ねえ、君、具合悪いんでしょ。今先生いないけど、そこのベットで横になってていいよ。俺、一応保健委員だし。」

 目の前の茶髪の男はそう言うと、椅子から立ち上がって僕の方に近寄ってきた。

 僕は知らない人物に近寄られるという状況と片頭痛の痛みとで頭が機能しなくなり、その場に立ち尽くした。

 男が僕の目の前までやって来ると緊張が最高潮に達したのだろう。ぷつんと糸が切れたように目の前が真っ白になってその場に崩れ落ちてしまった。


 気がつくと目の前に青い水面が広がっていた。息をしようと口を開けるとぼこぼこと泡が上っていく。

 ああ、またこの夢か。

ゆっくりと遠ざかる水面を眺めながらぼんやりと思考を巡らせる。

 何処なのか分からない水の中。

不思議と息はできて、身体が鉛のように重く、ゆっくりと水底に沈んでいく夢。あたりはしんと静まり返っていて、不気味なはずなのに、どこか心地よい、夢。

 このまま沈んでゆけば、つまらない現実から逃れられるかもしれない。 僕はまた、ゆっくりと瞼を下ろしていった。


 遠くから授業の開始を告げるベルが聞こえる。

 右頭の鈍い痛みと共に現実に引き戻された僕は目の前に広がった小さな穴の空いた保健室の天井をぼんやり眺めていた。

 ゆっくり身体を起こすとどうやらベッドの上にいるらしく、ぎいときしんだ音がなる。

「起きました?体調の方は大丈夫ですか?」

 カーテンの向こうから声をかけられた。この声は養護教諭の永瀬先生だ。どうやらさっきの音で僕が起きた事に気づいたらしい。

「はい、まだ少し頭痛いですけど…」

「もう授業も始まっているし、今の時間はここで休んでいてください。今薬持って行きますね。」

 シャーとカーテンがレールを走る音と共に永瀬先生がひょっこりと顔を覗かせた。

「うん、さっきよりも大分顔色も良さそうだし、安心しました。これ、クッキー食べてから飲んでくださいね。じゃないとお腹痛くなっちゃいますから。」

 水の入った紙コップと薬、そして永瀬先生がいつも保健室にストックしているチョコレイトのクッキーを手渡され、ありがとうございますと軽く会釈する。

 頭痛薬はものによっては効き目が強いため、胃に負担がかかり、痛みを伴うことがある。僕は元々胃がそんなに丈夫では無いため、こうして薬を飲む時は何かを口にしてから飲むようにしているのだ。

 貰ったクッキーを頬張り、もぐもぐと口を動かしていると、そういえばと永瀬先生が思い出した様に話し出した。

「君のことを宮下君が心配していたよ、急に倒れたからびっくりしたって。」

 宮下。あの茶髪男はそんな名前だったのか。

「後でお礼言ってあげてくださいね。君をベッドまで運んで僕を呼びに来てくれたんですから。」

 笑顔で話す永瀬先生に、不良と話せるほどメンタル強くありません、なんて言えるわけもなく、わかりましたとただ首を縦にふることしか出来なかった。

 その後は大人しくベッドで休息をとり、6時限目は普通に授業にでると、あっという間に放課後になっていた。

「宮下君は3年2組ですから、放課後にでも行ってあげてください。」

 永瀬先生から教えてもらった通り、3年2組の教室を恐る恐る覗いてみると、その茶髪男は友達と思われる黒髪男と一緒に楽しげに話をしていた。

 いや、これ話しかけるとか無理でしょ。

 そう頭の中で呟いてどうしようかと教室の前でうろうろしていると、がらがらと音をたてて教室の扉が開く。

「あれ、君保健室の。体調もう大丈夫なの。」

 目の前に立っていたのはあの茶髪男だった。動揺しすぎて目をぱちくりとしていると、後ろからもう一人の黒髪がひょっこりと顔を覗かせてきた。

「こら、春。お前が出るとそこの可愛いちびちゃんが怖がるだろーが。ごめんね、今教室誰もいないから入ってきなよ。」

 愛想のよい笑顔でさらっと僕のことをちび呼ばわりした黒髪は茶髪頭のふくらはぎを軽く蹴って道を開けさせる。

「あ、あの。僕別に、」

「いーから、いーから。」

 全く人の話を聞かないこの二人組に、内心涙目になりながらついていくと、どーぞと先ほどまで二人が話していた席の椅子を引かれた。

 仕方なく腰を下ろすと、茶髪と黒髪は向かいの席に腰掛け、で、と黒髪が先に口を開く。

「おちびちゃんは春になにされたのかな。」

「ちょっと潤、俺何にもしてないよ。寧ろこの子が具合悪そうにしてたから保健室のベッドまで運んであげたんだけど。」

「あーお前しょっちゅう保健室でサボってるもんな。」

「サボってないだろ、休み時間にのぶちゃんに会いに行ってるだけじゃん。」

「仮にも先生をそんな呼び方すんじゃねーよ、馬鹿。」

 二人で会話を繰り広げられ、どうしたらいいかわからなくなっていると、そんな僕に茶髪頭が気付いたのだろう、はっとした顔になってごめんね、と苦笑いを浮かべる。

「いつもこうなんだ。改めまして、俺は宮下春樹、で、こっちの黒いのが長谷川潤。」

「どーも。」

「一之瀬、千歳です。あの、昼休みの時はすみません。ありがとうございました。」

「いいよ、そのくらい。それにしても、あの時はかなり具合悪そうだったけど、もう平気なの。」

「はい、薬飲んだので。」

「あの感じだと、片頭痛か何か。」

「はい、昔からたまに来るんです。」

「片頭痛ねぇ」

 さっきまで黙って聞いていた黒髪、長谷川先輩は何か考えながらそうつぶやく。

「片頭痛っていったら、俺の彼女も酷くてな、よく寝込んでんだ。天気とかストレスとかで痛くなるんだろ。」

「人によって原因は違うんですけど、天気が悪くなると痛くなる人もいるみたいですね。僕の場合はストレスだって医者に言われていますが。」

「あらら、そんなに若いのにストレスだって。そんなに学校嫌い?」

「いえ、そういうわけでは。」

「ちょっと潤、決めつけんなよ、千歳ちゃんにもいろいろあるんだよ、きっと。」

「あの、なんでちゃんづけ、」

「え、なんで。可愛いじゃん。千歳ちゃん。」

 女子なら一瞬で恋に落ちてしまいそうなほど爽やかな笑顔でそういう宮下先輩に、あ、もう何言っても直してくれないやつだ、と悟ってもう突っ込まないことにする。

「大変なこともあると思うけどさ、またなんかあったら保健室においでね。」

 宮下先輩が、僕の頭をぽんぽんと優しく撫でながら言い聞かせるようにそう言った。

 僕はどこか懐かしい感じがしてその手を拒むことができなかった。

「それ、お前が言う台詞じゃないだろ。あと、千歳も何かあったら俺たちのとこに来ていいからな。3年の教室には来にくいだろうけど。」

 長谷川先輩の言葉で現実に引き戻され、そろそろ帰らなければならないことを思い出した。

「ありがとうございます。じゃあ僕そろそろ、」

「ああ、そうだな、気をつけて帰れよ。」

「またね、千歳ちゃん。」

 教室の入り口まで二人の先輩に送ってもらい、ぺこりと一礼すると、たんたんと階段を下りていく。

 ふと、さっき頭を撫でられたところに手をやると、まだその手の温もりが残っているように思えた。

 頭なんて撫でられたのは、何年ぶりだろうか。

 母が死んで、父が僕を育てようと一生懸命働いてくれた半面、家で暖かく迎えてくれる人は一人としていなかった。

 兄はいたが、兄もアルバイトや大学があったため、僕が帰ってから寝るまでの時間に人がいることはめったにない。

 さあ、今日は何をつくろうか。

 頭の片隅で今日帰りにスーパーによって何を買おうかなんてことを考えながら、僕はゆっくりと帰路につくのだった。

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なんとなくつらつらと書いたものです。